或るロリータ

A Certain Lolita

八代亜紀はなんて可愛いんだ

そんなことを言うと白い目で見られるのが世間である。

しかたがない。彼女は私よりずっとずっと年上だからだ。だけど八代亜紀の目つきが今でも色気を備えているのには間違いないし、歌声の魅力がいつまでも衰えないのも事実である。


Marty Friedman with Aki Yashiro

こんな動画を見つけた。

かっこよすぎて思わず三度見返した。

彼女の歌声がもともとどこか尖っていたのもあるし、彼女がジャズの歌い手をしていたこともある。ともかく彼女はこのようにして、単なる一演歌歌手というよりは、日本歌謡文化の女王といえる存在と言っても過言ではないのだ。舟歌を聴く前から酔っぱらっている私には、これ以上多様な表現をもって彼女の魅力を伝えうることはできないけれど、ここに紹介する動画を見ていただければ、その魅力は存分に伝わるものであろう。

 

さて彼女の曲の中で、私がもっとも好きなのは『雨の慕情』である。


雨の慕情 / 八代亜紀

心が忘れたあの人も
膝が重さを覚えてる

 こんな歌詞をさらっと歌っていいものか。

こんなに詩的で切迫した歌詞は、誰の目にも触れずに埋もれて行くのがこの国ではなかったのか。

雨の慕情はその知名度に反して、こんなに胸を打つ歌詞を備えている稀有な曲のひとつであると思う。懐かしの歌番組などで流れるたび、私は少し覚悟をする必要があるのだ。こんなに悲しい歌詞を、こんなに悲しい歌詞を、雨の日でもないのに聴きたい自分がどこかにいる……。

悲しい恋の歌を聴きたい夜もある

幸福より憂鬱が酒の肴になることは間違いない。今夜も私はビールにウイスキー、それでは飽き足らず安物の焼酎を煽りながらネットサーフィンに明け暮れている。それも悲しい恋の歌ばかりを探し求めて。暗い気分に浸れるのは、酒飲みにとって至福の時間である。騒ぎながら誰かと酒を飲むのももちろん楽しいが、ひとり沈んで酒を飲むのも上質な時間にはちがいないからだ。

そんな私の気分をどんな色からでもブルーに塗り替えてしまう、ほどよくアダルトな曲をいくつか紹介したいと思う。決して自殺願望が芽生えるような陰鬱とした曲ではなく、割に軽やかな曲調の中で悲恋を歌っているからこそ、心がすっと攫われてゆくものだ。

ロング・バージョン / 稲垣潤一


稲垣潤一 ロング・バージョン

さよなら言うなら今が
きっと最後のチャンスなのに
想いとうらはらな指が
君の髪の毛かき寄せる

 愛していない女を愛することのむなしさを表現した曲である。さよならを言うのは決して簡単なことではない。さよならを言うということは、自分が悪者になることへの片道切符であるからだ。人はどうしても傷つくことを先延ばしにして、明日の自分に何もかも託してしまう。けれどもそれは、いつか来る終りの時の悲しみを、一層深めるだけの行為である。分かっていながら、人は強くなれない生き物なのだけれど。

 

埠頭を渡る風 / 松任谷由実


埠頭を渡る風 2004年逗子マリーナラストライブ

 正面を向けない恋を、吹き抜ける風のような曲調に乗せて歌った一曲である。

ユーミンの曲の中では、いちばん好きな曲である。

地元にいたころ、行きつけの料理屋でよくかかっていて、思わず耳を傾けたのを憶えている。

steam.hatenadiary.com

 

スタンダード・ナンバー / 南佳孝


南 佳孝 「スタンダード・ナンバー」

 薬師丸ひろ子の『メイン・テーマ』というタイトルの方が、一般的には認知されているかもしれない。彼女の曲が女性目線で歌われているのに対し、この曲は男性目線になって一部歌詞が変わっている。昔はこうしてアンサーソング的なものが度々作られる時代だった。遊び心が効いていてとても好きだ。

女性バージョンが、いわゆる悲劇のヒロインであるのに対し、男性バージョンはさらりとかっこつけて歌い上げている中に、その女性の傷心に気づきながらも気づかないふりをしているという、どうにも救いようのない仕上がりになっている。悲しみを表現できる人は強いのだ。悲しみを誰にも打ち明けられない人の方が、きっといつでも辛い思いをしている。

 

恋人も濡れる街角 / 中村雅俊


恋人も濡れる街角 1984 live version

中村雅俊の代表曲である。作詞作曲は桑田佳祐

歌詞とメロディーのセンスが、もうこの上ないほどに絶妙で、こんな曲を作ってくれたという事実だけで私は身悶えして雨上がりのアスファルトでばたばたと寝そべりたい思いである。

エロティックな歌詞のあいだに、失恋した孤独な男を描いている。

 

さらばシベリア鉄道 / 大瀧詠一


さらばシベリア鉄道 / 大滝詠一

大瀧詠一の声はカクテルのようだ。爽やかさの中に、甘さ、酸っぱさ、ほろ苦さがあって、おまけに海の色をしている。

大瀧詠一松本隆のコンビは、売れ線でありながら詩的な曲をつくるから反則だ。

 

裏切りの街角 / 甲斐バンド


裏切りの街角 甲斐よしひろ

甲斐バンドの代表曲。このころがいちばん甲斐よしひろの声が乗っている気がする。目をつぶれば雨の街が浮かんでくる、珠玉の一曲。

 

全部、君だった / 山崎まさよし


山崎まさよし / 全部、君だった

昭和歌謡至上主義な私は、最近の曲なんて全部クソだ、特に歌詞がクソだ、と仄かに偏見を持ち始めていたんだけれど、中学生のころにハマっていた山崎まさよしの曲を聴き返してみたら、まるで文学のような美しい歌詞の世界にどっぷりと浸ることができた。

淋しさを表現するのに、研ぎ澄まされた表現はやはり必要である。

 

さて、今夜も酒がうまい。

憂鬱を共有したい人は、いつか一緒に飲みましょう。

ちなみに、ここに挙げた曲の半分くらいが、私のカラオケのレパートリーだったりする。

今年あなたはスナックでどんな曲を歌いますか

あなたの十八番は?と訊かれると困ってしまうが、知らない人の前でもまず歌いたい曲というのはいくつか存在する。そのひとつが風の『22才の別れ』である。

風というバンドはかつてフォークソング全盛期のかぐや姫伊勢正三がやっていたバンドである。バンド自体の知名度は低く、『22才の別れ』がかぐや姫の楽曲だと思っている人も少なくないのではないだろうか。

そんな『22才の別れ』であるが、度々CMソングなどにも起用されており、おそらく誰も耳にしたことがあるはずだ。ちなみに有名な『なごり雪』も伊勢正三の作った曲であり、それぞれ男性の視点と女性の視点から歌われた曲である。

 


二十二才の別れ

変わってゆく自分、一方で相手には変わらずにいて欲しいと願う、このやりきれなさ。思い出だけはどうにか自分の中で守っていきたいという。人はどうにも大人にはならなければいけないらしい。ずっと子供のままでいられたら……誰もそう願ったことがあるのではないだろうか。

私は次にスナックへ行くことがあったなら、この曲を歌おうと思う。そうして泣こうと思う。涙を流してスナックのテーブルを濡らすのだ。乾き物が乾き物でなくなるとき、私はまたひとつ思い出から遠ざかる。

ジュリーのようなエロい男に憧れる

エロいと言われる男に憧れる。それは決して飲み会の席で下ネタを言って許されるというようなアドバンテージが欲しい訳ではない。スカートめくりをして大目に見られたい訳でもない。いいや、それらが許されるならそれに越したことはないけれど、私が憧れてしまうのは、女性が思わずうっとりしてしまうような「エロさ」をその人自身が持っているという状態のことを指している。もっとも私は女性の気持ちなんて判らないから、すべて憶測で語ることしかできないんだけれど、少なくとも私は性別の壁を超えてそのエロさを滲ませている男をひとり知っている。それはジュリーこと沢田研二である。

沢田研二といえば昭和の大スターだ。私は二十代だけれど周りの友人は私がカラオケでいつもジュリーを歌うからその名は知っている。だが、触れる機会のないままに育ってきたほとんどの若者は、ジュリーのことなんてまるで知らないのではないだろうか。

あの頃のアイドルが総じてレベルが高かったというのは、単なる年配者の懐古主義ではないだろう。今にしてYouTubeなどで昭和時代のテレビ番組の映像を観てみると、そのオーラの違いに度肝を抜かれる。たぶん無言でステージに突っ立っているだけでも観客に息を飲ませるであろう美貌をして、姿を隠していても聴き惚れさせるような歌声を持っている、そうした反則的存在がジュリーなのである。私はこの文章をひどく酔っぱらった状態で書いているから、おおよそこのあたりで文章があられもない方角へ破綻してしまいそうだから、そろそろそのジュリーの魅力については動画とともに紹介するのがよいだろう。


沢田研二💃サムライ✩1978.1.21R

とてもかっこいい。かっこいいとしか言いようがない。私はこの年にして未だにジュリーに密かに憧れながら、スナックではいつもジュリーを歌うんだけど、最近めっきりスナックに行かなくなってしまったから、それも叶わなくなっている。たとえば女の子が金髪のナイスバディの外国人のねーちゃんを見て、「この人エロい」と思うのと同じような感覚で、ジュリーは男から見てもエロい。そうしてジュリーを見るたびにエロいという言葉がどんどん明るいものになってゆく気がする。人は、エロくあろうとすることが、実は重要なんじゃないかしら。そんなことを思いながらジュリーの動画を見て酒を飲む四月の末。

どんどん何もできなくなってゆく自分が嫌で

仕事を始めてもうすぐ二ヶ月が経とうとしている。仕事をしていなかった頃の私は時々ハロワに行くことを除けば、毎日ブログを書くくらいしかすることがなくて、ブログを書くことでネット上に自分が今日生き通したという記録を書き残していないと、生きているという実感がまったく湧かなかったのである。ブログを書くことで日銭を得られるわけでもないし、明日の夕餉にはなんの好影響ももたらさぬまま私は何かにせき立てられるように毎日ブログを書くことを義務のようにさえ感じていた。

それが何、いざ就職してみればやはり私もそこいらの一社会人と変わりのない存在であったということだ。私は自分が人一倍情熱を持ち合わせている稀有な青年だと自負していたけれど、たった一日八時間の労働に疲れ果てて、家に帰りつけばパソコンを開くことすらままならない脆い人間であったことを情けなく思っている。夜が深い青に染まり始める頃、いつも中央総武線の下り列車に乗って揺られて帰る。満員電車の息苦しい人混みの隙間から、夜の街を眺める。「家に帰ったら小説を書こう」そんな風に思いながら私は揺られる。

夜道はいつもひとりぼっちだ。前を歩くオフィスレディや女子高生や、そのほかあらゆる美しい人々の艶やかな後姿に、夢を見ているような気分になりながら、玉川上水沿いを歩く。川岸に腰掛けた若い男女がふたり、囁き合っている。それは密やかだが性の香りがして、それでいて清潔だった。真っ暗になる直前の、この、狂気と退廃の狭間にある時間帯がいちばん好きかもしれない。私以外のみんなも、この夕闇に命を握られているような気分になるからだ。みんな一緒に死ぬのなら、それは平和であると思う。

そんなことを考えながら歩いているといつのまにか家に着いている。郵便ポストをチェックして、エレベーターを上がって、鍵を開けてドアを開く。暗闇にただいまと心の内でつぶやく。暑い、なんだかとても暑い。上着を脱いで、ベッドに倒れ込めば、私はもう酩酊を欲している。冷蔵庫を開けて、ビールの栓に爪をかける。ああ、今夜も世間を揺るがす文学は書けそうにない。一行だって筆を走らせることができそうにない。私は今日も負けたのだ。疲労に負けて、労働に負けた。これが大人か。なんと口惜しい。やらないでいいことをやれるだけの情熱がなくなったとき、私は「あの頃の私」以外のすべての少年にとっての、立派な大人、というものになってゆくのだろう。

 

今週のお題「私がブログを書く理由」

いつしか私の前に立ちはだかっていた労働の壁が消えた

大人になるにつれて、自由でない時間のすべてが嫌いになった。小学生のころは苦手な水泳と跳び箱の授業がある日以外はそれなりに楽しく通っていたし、中学校のときは国語と社会とパソコンの授業がある日だけは何が何でも眠い目をこすって通っていたし、高校では唯一大好きだった国語の先生と逢える日だけはくじけずに孤独な教室の中で前を向いていた。

それなのに就職してから、私は家から出るという行為を伴うすべてのことが嫌いになった。毎日同じ時間に出社して、同じ場所を掃除して、変わり映えのない朝礼を受けて、いつもの席に着く。私はそこにいるあいだ自分がどんどん衰えていくような気がしていた。青春から遠ざかりながら、でもなぜか堂々と大人とは呼べないどこか道の逸れた方向へと歩んでいるような気がしていた。

その頃も今と同じく薄給で、周りの友達と飲みに行く度私だけ痩せた財布を持っているのが少しみじめに思えた。それでも辞めずにいられたのは、その仕事が私の午後五時以降には介入してこない仕事だったからだ。悲鳴をあげるほどの肉体労働も、思い詰めるほどの上司からの叱責もなく、まるで早すぎる隠居生活のように私は時の流れに風解されていった。

仕事を辞めると告げた日の夜は、「ついに言っちゃった」と気が気でなく眠れなかったが、同時に思い切りひねったシャワーのように自由というやつが降り注いできた。それは私の髪の毛から爪先までをいっぺんに濡らして戸惑わせた。あんなに欲しかった自由が、こんなにあっけなく手に入るなんて……。私は優雅で自堕落で、新鮮な毎日を過ごした。

上京するにあたって新しい仕事が決まったことは、生活の不安を当面は取り除いてくれたけれど、同時にまた私から自由をうばった。残り少ない故郷での日々に、いつしか頭の片隅で労働という不気味な炎が再燃して、楽しいはずの時間が楽しくなくなってしまったのだ。私はもう、労働そのものが向いていない人間なんじゃないかしら、とまだ始めてもいない仕事に対して漠然とした不安を抱えるのであった。

やがて上京して仕事が始まり、それからの日々は私の身体の節々を軋ませた。あのころ恐れていた衰えていくという感情がそこにはまったくなく、ただあるのは一秒でも早くこの苦痛から解放されたいという労働への憎しみと恐怖。退屈な仕事というのがどんなに幸福なことだっただろう、そう私は思った。成長と健康、どちらが人間にとって優先されるべきかなんて、考えるまでもなく判ることだ。

そうして二度目の退職をして、やはり私は自由になった。もう、働くのやめちまおうかな、なんて思ったこともあったけれど、たったふたつの会社でうまく行かなかったからと言って、労働そのものが自分に向いてないだなんてあきらめるのは早すぎる。理想を追い求めながら収穫のないハロワへ通う日々が続いた。

結局選ぶべきは「給料が安くて楽な仕事」か「高収入できつい仕事」のどちらかに分類されたが、私はせめて趣味の時間をとれる前者を選ぶことにした。後者の苦しみがどれほどのものか、一度目の転職で痛いほど思い知ったからだ。それでも理想の求人はなかなか見つかるものではなかった。

そうして縁あって今の会社に拾われて、私は心から労働というものを見つめ直すことができた。せめてもと妥協していた「給料が安くて楽な仕事」よりさらに上の、この世にそんなものあるはずないと思っていた「楽しい仕事」に今自分が就いていることに気づいたのだ。確かに給料は安いけれど、一秒でも早く帰りたいと思わない仕事があるなんて不思議だった。かといって人一倍早く出勤するわけではない。けれど家にいるあいだも、ふと仕事のことを考えていたりする。それでいて苦痛じゃない。どんなに仕事への思考が日常生活にまで介入しようと、それがいっさい無駄だとは感じないし、幽かに幸福のにおいさえする。

こんなことを書いているとまるで怪しい宗教にのめりこんだ胡散臭い人間のように思われるかもしれないが、それでも構わない。私はただ結果的に今の私がいることで、苦しかった過去もここに辿り着くまでの道程だと思って肯定することができるのが、なにより素晴らしいことだと思うだけなのだ。

苦しい時期は誰にだってあるはずだけれど、それが一週間だか一年だか、もしかしたら十年かもしれないけれど、その先で報われることがあるのなら、苦しいあいだの時期は決して無駄ではない。苦しみがあってこそ今があるのだ。もちろん、苦しまずに済むならそれに越したことはない。だけど私は今のところ、苦しんでは安らいでの繰り返しで人生が過ぎてきたものだから、おのずと未来というものは過去を煌めかせるためにあるものだと信じてしまうのだ。

明日が怖くない夜があるなんて、私はこれまで知らなかった。

少女になりたかった私の話

きっと私は少女になりたかったのだ。少年として煌めきながら、青年として駆け抜けながら、大人になって立ち止まりながら、いつでも少女になりたかった。懐かしいという私のいちばん好きな感情に連れ去られて、まぶしい陽射しの中へ戻りたい。できることなら、少年ではなく、少女へと戻りたい。いつも眺めるだけだったあの白い頬を持ちたい。じっとりとした文学少年の青い炎のようなまなざしで、今度は私が眺められたい。そうして恋が始まりそうで始まらないまま、痒いところがわからないときの痒さのようなものを胸の奥に抱えたまま、卒業式を迎えたい。

私がそんな風に馬鹿げた夢を持つようになったのは、ほかならぬこの本の存在による。

寺山修司少女詩集 (角川文庫)

寺山修司少女詩集 (角川文庫)

 

 寺山修司という人は、この世でもっとも透き通った水ようかんのような詩を書く人だ。切ないことも激しいことも、この本のインクの並びの中では、すべてが透き通ってしまうのだ。だから目醒めのコーヒーのお供にも、昼の窓辺のぬくもりに包まれていても、眠る前のベッドの中にいても、どこでもこの本を読むことができる。それは私の生活を邪魔しないくせに、私の心に深く染みこむのだ。

なみだは
にんげんのつくることのできる
一ばん小さな
海です

私は卒業式で泣かないような人間だった。そうしていることが強いと思っていたし、そうしていることが恰好いいと思っていたし、そうして少し、淋しかった。けれど大人になるにつれ、涙もろくなってしまった。歳のせい、だなんて認めるのがいやだから、感受性が豊かになったのだと思いたい。ただ、とにかく、私の海は、あの頃よりずっとかさを増しているようだ。

そうして、誰かが涙をこぼす度、この詩を思い出す。たった四行の、なんてことない詩だ。だけど、私ははっとした。その人のかなしみがまるでラムネ壜を透かして見たように、ぞっとするほど美しく思えるのだ。それから、「そんなにきれいなものをこぼすなんてもったいない」とさえ言いたくなる。私は根っから海が好きらしい。

どんな詩人が
自分の書いた海で
泳ぐことができるというのだろう。

私の書いた何気ない言葉のつらなりが、いつか誰かを微笑ませることができたなら、きっと私はそのときに、自分を好きになれるだろう。その日までせっせと、私は海を紡ぎつづける。

 

 

特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/pdmagazine

 

関連記事

steam.hatenadiary.com