或るロリータ

A Certain Lolita

国語の教科書が私を狂わせた

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本だけが友達だった。といえば少し言い過ぎだろうか。だけど本は、私にとって最も大切な友人のひとりであったことには違いない。幼少期に字を読む楽しさを覚え、小学校に上がる頃には毎週のように県立図書館へ通って、大好きな児童書のコーナーから十冊の本を選んでは重い手提げを母とふたりで片方ずつ持って帰った。だがその頃は、外でもいっぱい遊んでいたし、実際は友達も結構いたので、均衡は保たれていたのだ。今ではあの元気がうらやましい。

ところがそんな文武両道の少年を甘い誘惑が襲ったのだ。小学校中学年くらいのことである。そいつの名はコロコロコミックと言った。あのボリューム感、流行りの玩具の情報、ゲラゲラ笑える連載の数々……、「漫画って面白いな!」

次第に私は本を読む楽しさを漫画に奪われていった。それくらい漫画は魅力的だった。文字を読むことには代わりない、と自分なりの理論を立てて、咎めるもののいない甘い罠の中へまんまと引きずりこまれていった。

学校の図書館でも、漫画を捜し始めた。はだしのゲンブラックジャック、偉人の伝記の漫画など、どれも面白かった。少なくとも小説よりは。「やっぱり、文字だけより、絵もついてる方が、表現の幅が広いに決まっている。」そんな風に感じていた。

中学校に入る頃には、私の背丈も少しは伸びて、コロコロコミックは少年サンデーに変わっていた。深夜アニメデビューを果たし、部屋は漫画の単行本に溢れ、友人たちとも漫画の話ばかりするようになった。ラノベもたくさん読み漁ったが、それ以外の活字には見向きもしなかった。少年は立派なオタクへの第一歩を踏み出したのであった。

と、思われた矢先、中学三年生の時分である。周囲が高校受験に向けて、いっせいに気難しい顔をし始めたのだ。もうすっかり自堕落が板についていた私には、みんなと同じように気難しい顔をして机に向かうことなど出来そうもなかった。かといって、勤勉につとめてきた少年の頃の貯金はもう、使い果たしていた。私の成績はみるみる下がって行った。親も教師もそのことを憂いた。「やれば出来るのに、もったいない。」と。

——違うんです、僕はもう、やれないんです。

人生山あり谷ありと言うが、その頃私は変な溝にはまっていた。前も後ろも見えなかった。そして何故だか、気晴らしに開いた漫画も、録画していた深夜アニメも、何故だか何故だか面白くない!私はどうなっちゃったんだ。感受性というやつを使い果たしてしまったのか……?

私はメカニカルに生きることを決めた。訳もわからず心理学や哲学の本を読むようになった。ビジネス書を読んで遠い将来の準備を始めた。アニメを見ずに、ニュース番組をハシゴするようになった。それから2chにも毒されていった。私は、社会の裏を知っている! 私以外は、みんな情弱ばかりだ!! ……私はずいぶん無口になった。

高校に上がってもそれは続いた。担任の先生が偶然私の読んでいた賢ぶった本を見つけて、「おっ、勉強熱心だねえ。」なんて言った。私のやってることは、ひょっとして優等生のそれなのかもしれない、と思った。勉強もろくにせずに、そんなもの読んだところで、意味があるのか判らなかったが。

そんなうらぶれた高校生活の中で、唯一の楽しみといえば、国語の授業だった。国語の先生は可愛らしい女の先生だった。私はその先生が大好きだったのだ。

四月に教科書を配られてすぐ、私は国語の教科書を始めから終りまで読んだ。暇さえあれば読んだ。国語だけは、真面目にやろう。あの先生にだけは、認めてもらおう。今思えばなんと不純な動機であろう。しかしそれだけでなく、真に私は日本語というものの魅力に惹かれつつあった。「読書をする」という感覚は、懐かしく、心地のよいものだった。

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ宮沢賢治『永訣の朝』)

その一文が飛び込んで来たとき、思わず寒気がした。文章を読んでこんなに衝撃を受けたことが今までなかったからだ。そうしてその内容にシスコンの私はえらく共感を受けた。旧仮名遣いということもあって、敬遠しそうになったけれど、読めば読むほど、まるで自らのことが書かれてあるように思えて来るのだ。もちろん私の場合、そんなに大きなスケールの話ではなかったが、ちょうど妹に初めて彼氏が出来た頃だったのだ。その後すぐに別れてしまったらしいが、心地よい詩のリズムだけは私の頭の中に残り続けていた。

その後、時が経って偶然『輪るピングドラム』というアニメを観た時、宮沢賢治の世界観に通じるものを感じて、思わず人生で初めてアニメのブルーレイBOXを買ってしまったほどだ。

それからというもの、私は授業中、退屈になるとノートに落書きならぬ詩の模写を始めた。下手くそな字でひたすら賢治の詩を書き写していた。永訣の朝に至っては、すっかり暗記してしまったほどだ。それに飽き足らず私は教科書を隅々まで捜して、詩のページばかり選んで読むようになった。日本文学なんて本当に奥深いのだ、教科書に載ってるのなんてほんの氷山の一角、衝撃的な出逢いなど、そう何度もあるはずが……あった。

いやなんです

あなたのいつてしまふのが——高村光太郎『人に』)

なんだこの素晴らしいリズム……そうしてこの喪失感……。その頃私は失恋ソングなどを聴き漁っていた時期だったから、この詩は特に胸に突き刺さるものがあった。高村光太郎の『智恵子抄』といえば「智恵子は東京に空が無いといふ、」で始まる『あどけない話』が有名であるが、私の高校で使われていた教科書には、何故か先ほどの『人に』が採用されていた。高校生にこんな打ちひしがれた詩を読ませてどうすんだ……、と思ってしまうが、よく考えると漱石の『こゝろ』とか芥川の『羅生門』とかもなかなかのものなので今更そこに突っ込む必要はなさそうである。
それからは立て続けだった。
——蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね——吉野弘『I was born』)
ここだけで引き込まれちゃう。これも大好きな詩のひとつだ。
残念ながらこれらは全て教科書に載っていながら授業で取り上げられることはなかった。どうやら大好きな国語の先生は、湿っぽい作品は嫌いらしかったのだ。私は大好きな先生の言いつけを守って明るい作品をお薦めしてもらう傍で、ひっそりと暗い詩を読みほぐしていくのに恍惚と後ろめたさを感じながら、高校時代を過ごして行った。
今となっては中原中也記念館に足を運んだり、古本屋で無名な作家の詩を発掘するのに奮起したりと、ずいぶん時代に即していない生き方をしているが、それも全て上記の三作品に出逢ったことから始まったのだ。漫画やアニメに浸ったり、ビジネス書を崇めたり、ふらついていた私の思春期にとどめを刺したのは、詩の心地よいリズムだった。私はもう迷わない。もう寄り道しない。流行りの作品の話で友達と盛り上がることが出来なくても、ひとりの部屋で気に入った詩集を読みながら過ごすことが、あまりに安らかな時間であるから——。

 

新編宮沢賢治詩集 (新潮文庫)

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智恵子抄 (角川文庫)

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吉野弘詩集 (ハルキ文庫)

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