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或るロリータ

A Certain Lolita

もしも四年前に戻れたなら

私は変化というものに弱い性格をしているらしい。小学生の頃、中学生の頃、クラス替えが行われる度に不安で吐きそうになった。果たして馴染むことができるだろうか、うまくやっていけるだろうか、自己紹介はどうしよう、最初に誰に話しかけよう、あいつは知ってる、あいつは知らない、あの人は怖そうだ、あの人は優しそうだ、などと、いてもたってもいられなかった。そうしていざ新しい環境での生活が始まると、やはり思った通りに気の利いた自己紹介なんてできるはずもないし、胸を張って歩くこともできないし、挨拶の声も何故か絞り出すような小さな声しか出なくなる。極度の緊張しいかつ、人見知りの私に、自宅以外に落ち着ける場所なんてあるはずがなかったのだ。

高校デビューに失敗した。いいや、デビューなんてするつもりもなかったけれど。小学生の頃は何故だか友達をつくることを義務のように感じていたし、大人たちもみんな「友達できたかな」とか「早くみんなと仲良くなれるといいね」と言うものだから、私はそれが当然かつ健康なことなのだと信じて疑わなかった。そうしてその通りに行動した。勇気を出して隣の席のやつに話しかけたりして、好きなゲームの話で案外盛り上がったりして、私もそれが楽しかった。けれど高校時代の私はもう、友達が必要なくなっていた。それは私が一人で過ごす楽しみを見つけていたこともあるし、また、だいぶ思春期に毒されて捻くれてしまっていたのもある。ともかく私はもう無理して隣の席のやつに話しかけるのを辞めたのだ。そうしたら友達はできなかった。始めの方こそそんな自分を惨めに思うこともあったが、慣れてしまえば孤独は易しいものだった。ただ時間の過ぎるのを待っていればよいだけの高校生の私は、そのことの価値にも気づかずに特権階級の学生服を汚さぬままに卒業して就職した。

就職すると今度はまた新しい環境だ。私は無理をすれば人の目を見て話すことができるようになっていた。だから無理をした。初めて武器をつくった原始人のごとくに気が大きくなって、そのつたない棒切れを振り回すように快活な青年のふりをした。そうしていたら同期や同僚、取引先の人とも仲良くなることができた。それは親身な付き合いではなかったが、大人というものは、腹を割って話す相手を見定める生き物だから、仲良く立ち話をする程度なら、作り笑いひとつできれば充分なのだった。私は背伸びしたまま大人になった。大人になったふりをし続けた。そうしたらいつのまにか少しだけ居心地が良くなっていた。ためしに背伸びをやめてみたら、本当に背が伸びていた。

このまま大人になってしまうことは簡単なことだった。もう、何もしなくても季節が私を最期まで運んでくれるはずだった。私の生活に足りないのは刺激と成長と、少しのお金と体力づくりだけだった。単純な数式だ。安寧を選ぶなら、退廃を受け入れなければならなかったし、ロマンスを追いかけるなら、苦心する覚悟が必要だった。私は後者を知りたいと思った。もう戻ってこられないかもしれないなんてこと、考えもしなかった。それなりに楽しい日々だったが、何かが決定的に欠けている気がしていたのだ。そのわけのわからない何かのために、私は全てを投げ出してみることにした。繰り返しすぎた幸福は、それを不幸と錯覚させてしまうみたいだ。じっとしていられる時間、空をのぞく隙間、怠惰な休日の朝、無意味に飲み明かした夜、それらはすべて退屈なんかじゃなかった、すべて幸福の上でしか成り立たないものだった。それに気づけたことが、今の私にとって一番の収穫かもしれない。

先日上京した。上京してから、ずっと駆け足だった。ようやく少しだけ考え事をする時間をつくることができて、そうして思い出してみると、四年前の私も、今のように慣れない環境の中にいたことに安心する。人はたった四年間で、慣れない環境に慣れ、さらには逃げ出したいとまで思うようになるのだから、可笑しいものだ。今、このめまぐるしさの中で溜息ついている私だが、ほんの一年もしたら、また退屈の芽が顔を出しているかもしれない。

一人暮らしなんて初めてだ。都会の街もなんだか怖い。あの山の上の大好きな実家から、農道を自転車で走っていた日々からすれば、環境はごっそり変化してしまった。四年間で、何もかも変わってしまったのだ。だけど私自身は変わっていない。変わりたくない。変わらないようにしたいと思う。変わっちゃったら、意味がないから。変わらないために、ここに来たのだから。私がより私らしさを取り戻すためにここに来たのだから。もしも四年前に戻れたなら、同じ道を歩むかなんて、考えてもわからない。辛くないといえば嘘になるが、楽しいこともあるからだ。一度、何もかも手放して四年前からやり直すとしたとき、今持っている好きなものを、すべて一から集め直さなければならないのなら、私にはその自信がない。それに、そうしたらまた別の苦しみが待ち受けているだろうし。だったら、今この現実と折り合いをつけて、どうにか戦ってゆくのが最善なのではないか。少なくとも私は、かつて四年間をかけて逃げ出したかった「どこか」という場所の端っこに、今、立っているのかもしれないのだから。

「4年間で変わったこと、変わらないこと」