或るロリータ

A Certain Lolita

咳をしてもひとり

久々に風邪をひいた。平熱が低いからか知らないけど私は滅多に熱が出ない体質なのだ。小学生の頃なんて冬でも薄着で走り回っていたけれど、風邪なんて無縁だったし、家も好きだけれど学校もそれなりに楽しかったから、病気なんてして友達と会えなくなるよりは健康でいられる方がずっとましだった。それでも時々、本当に時々熱を出しちゃうことがあって、その時は母がいつもより優しくて、買い物に出かけるとプリンやゼリーをたくさん買ってきてくれて、熱さまシートを貼ったまま布団にくるまって「みんな今頃なにしてるかなあ。体育がある日だから惜しいことしたなあ。」なんて考えながら、昼時になると階下に降り、普段見られないワイドショーをぼんやり眺めやりながらカップのうどんなど啜るのが通例だった。

それが中学にもなると、私はすっかり明るいものにアレルギーができてしまって、どうにかして学校を休みたいとばかり考えるようになった。それも大好きな国語や公民やパソコンの授業のない日には特別に憂鬱だった。幸い私は日頃から顔色が悪かった。きっと毎晩遅くまでパソコンをしていたせいだろう。ほとんど眠らずに学校へ行く日さえあった。だから気のせいか少しお腹が痛いくらいでも保健室へ行ってその旨を告げるだけで、先生は「確かに顔色が悪いわね。」と早退の手続きをすぐに取ってくれた。一日のもう半分が自由になるときの誰もいない校庭を横切るのは、清々しい気持ちだった。家へ帰ると誰もいない時にはすぐにパソコンを開いたし、母がいれば布団に横たわったけれど夕方にはもう元気になったと顔を上げてすまなそうにパソコンの前へ座った。

母の前では上手な芝居が必要だった。母は学校をサボることに賛同してくれるような21世紀型の粋なかーちゃんではなかったから、私が具合が悪いと自己申告をしても、いつもの仮病だとはなから相手にせず、熱を測らせては36.2℃の体温計をつきつけて家を追い出した。母にとっては体温計の数値が絶対的な基準だった。だから私はどんなに気分の優れない曇りの日でも学校へ通わなければならなかったのだ。

つまりは熱が出るということは自由への切符に等しかった。熱が出れば堂々を学校を休むことが出来るのだから。親不孝なこの息子は怠惰な日々が欲しいばかりに自らの健康を切り売りしていたのだ。

そういうわけで私はずっと風邪をひくことに抵抗がなかった。というよりむしろひきたいとさえ思っていた。社会人になってからも数えるほどしか体調を崩したことがなかったし、正直健康というものを軽く考えてしまっていたのだ。

ところが一人暮らしを始めて、早速風邪をひいてしまって、しかも滅多に出さない高熱を出してのたうち回り、声はすっかり枯れてしまって下手くそのバイオリンみたいな音しか出ない。それにこの町には病院がひとつしかないのだ。ほとんど廃病院みたいな古い病院だ。仕方なくそこを訪れてみると、朝からもう町中の老人たちが待合室で陰鬱な顔をしていて、私もそこの末端に腰掛ける羽目になった。もらった薬はちっとも効かなかった。

知らない町の小さな部屋の中で、ぐったりと体を横たえて、なにをするにも億劫なとき、どうしても人は故郷のことばかり考えてしまう。ひとつふたつ咳をするたび、静けさが際立って、尾崎放哉の句のことを思い出したりする。