或るロリータ

A Certain Lolita

大人になんてなりたくなかった

明日で二十歳になるというとき、私は好きな子に告白すらできなかった中学の卒業式の時と同じ気持ちでいた。十代という、許されることが当たり前の、人に倚りかかることが当たり前の、自分勝手で自堕落で、それなのに愛される権利を持っている瑞々しい季節がもう終わってしまうことへの焦りからだった。自分の人生の中に明確にひとつの時代が区切られて、思い出の箱に仕舞われることが判っていながら、結局なにひとつ成し遂げられなかった、名ばかりの青春への遅すぎる焦燥感。夜に布団に入って、眠りに就くまでずっと気が気でなくて、いっそ布団を這い出て家を飛び出してやろうかと、十代が終わってしまうのをお前、指くわえて見てるだけで本当に良いのかと、そんなどうしようもない気持ちで過ごしたのが二十歳前夜。

うまく大人になれたやつも沢山いた。私の周りの友人たちはやっぱり冴えないやつらばかりだったが、同窓会に行くとなんだか軽々しく話しかけられないくらい格好良い大人になっているやつもいた。彼らは女子達にも気軽に話しかけて、丁度良い冗談を言って笑わせて、とても真似できる芸当ではなかった。私にはそんな彼らがまぶしくて見ていられなかった。結局私はいつもの冴えない友達と隅っこの方でひたすら焼酎を飲んでいた。「あの子可愛くなったよなあ。」なんて思っても決して口に出来なかった。宴も佳境に差し掛かったところで、幹事のやつらが久しぶりに校歌斉唱しよう、などと余計なイベントを挟んできた。いつのまにか歌詞を忘れていたのが悲しかった。

会がお開きになると、会場のホテルの前は二次会を集う者や記念撮影するやつらの固まりやらで騒々しかった。私と数人の冴えない友人は何らかの期待を持ちながら数分間はそこいらをふらついてみたのだけれど、結局何のロマンスもなく次第に人波は散り散りになっていった。それもそのはず、あの頃から私たちにはロマンスなんてなかったのだから、間違っても再燃する火種などどこにもないのだ。客待ちのタクシーのハザードがゲームオーバーを告げていた。私達は駅へ向かってとぼとぼ歩いた。駅に着くと、中学時代に野球部やら、バスケ部やらに所属していた、いわゆるリア充グループの男共が、十人ほどでたむろしている。彼らのような人種は、てっきり女子達とカラオケにでも行ったものだと思っていたから、私は拍子抜けした。そのうちに、不良だったやつや、オタクグループやら、ぞろぞろと合流してきて、聞けば女子達は翌日の成人式に備えてみな早々に帰ってしまったという。「ラーメンでも食いに行くか!」という誰かの呼びかけで、駅前のラーメン屋に全員で行くことになった。私はラーメンは好きではないしお腹も空いていなかったけれどついていくことにした。それからラーメン屋の狭い店内の人口密度をいっぱいにしながら、私達はラーメンを啜った。なぜだかその時に私はようやく、「ああ、大人になっちゃったんだなあ。」としみじみ思った。受け入れたのか。仕方ないから、もう大人として生きていってやろう、と。それは諦めにも似ていた。そんな夜すら今は思い出。時の流れはおそろしい……。

今週のお題「20歳」