或るロリータ

A Certain Lolita

私が上京を共にした12冊の本

上京してもうすぐ三ヶ月だ。計画通りには行かないことばかりだけれど、なんとか生きている。思い起こせば上京前日も、ギリギリまで荷造りをしていた、というか、当日の朝にもまだ準備が終わっていなかったような気がする。ろくに寝る時間もなく、早朝に起きて慌てて荷物を確認して、空港まで向かったのを憶えている。だから家族とも、ちゃんとした別れの挨拶などする暇もなかった。私が行き当たりばったりなのは今に始まったことではないのだ。

私のスーツケースは鬼のように重かった。手が千切れそうだった。物を捨てられない性格だから、なんでもかんでも詰め込んでしまうのだ。服やら身の回りのものやら、電子機器にへんてこな置物まで、そうだ思い出の手紙も持っていかなくちゃ、きっとホームシックにかかったとき、読み返してセンチメンタルに耽るんだ、とか、色々考えあぐねると、もうそのまま部屋ごと巨大な重機でぶち抜いて輸送してしまった方が早いと思えるくらいだった。

そんな私が特に困ったのは、書籍の類である。私の部屋には元々千冊近くの漫画と小説があった。流石に窮屈になって、厳選して古本屋に売ったばかりだったのだが、それでもゆうに三百冊を越えていただろう。まさか全て持って行く訳にも行くまい。私はひとまずどうしても手放せない本を選びぬくことにした。選び抜いて選び抜いて、ようやく12冊に収まった。本当は10冊にした方が綺麗だと思ったんだけど、どうしてもこれ以上削ることはできなかった。そんな私の選んだ12冊の本を、紹介したいと思う。

 

 

中勘助銀の匙

銀の匙 (角川文庫)

銀の匙 (角川文庫)

 

 私に新しい小説の楽しみ方を教えてくれた一冊である。高校生の頃に出会った本で、それまでの私はスリルのある展開とか、息を呑むような仕掛けとか、壮大などんでん返しとか、とにかく小説というものはエンターテイメント性に溢れれば溢れるほど優れているのだと思っていた。

ところがこの作品では、なんだか当たり前のような日常が丁寧に丁寧に描かれているのだ。それなのに飽きさせない。古めかしいんだけど、小難しくない。読み込むにつれて幼少期の自分と重ね合わせて、やがて胸を痛めるほどの共感をもたらされた。私はもう一つの小説の楽しみ方を知った。立ち止まりながら読むことを知った。私を導いてくれた一冊である。

 

大江健三郎『性的人間』

性的人間 (新潮文庫)

性的人間 (新潮文庫)

 

 これも高校生のときに出会った本だ。この中の二番目に掲載されている『セヴンティーン』という短編に衝撃を受けた。読み始めて数行で動悸がした。あまりの生々しさにである。まるで自分の皮膚の上に刻まれた文字を読んでいるみたいだった。共感と嫌悪に胸焼けを起こしながらも、何故だか目が離せなかった。それくらいパワーのある作品だった。

 

 

石川達三『青春の蹉跌』

青春の蹉跌 (新潮文庫)

青春の蹉跌 (新潮文庫)

 

 石川達三といえば、第一回芥川賞の受賞者ということしか知らなかった。それも、受賞作である『蒼氓』を私は読んだことがなかった。蒼氓と聞いて、同名の山下達郎の曲しか思い浮かばなかったのだ。

この『青春の蹉跌』に関しては、単純に面白かった。私はまったく学のない人間なので、インテリが主人公の作品はあまり共感出来るところがなくて好まなかったのだけれど、この作品に関しては、良い意味で波長がラノベ的というか、名作の位置にいながら、何も考えずに読んでも単純に面白かった。

 

 

三島由紀夫憂国

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

 

 三島由紀夫の文体を堪能したいとき、私は必ずこの『憂国』を読む。特に私のような気短な人間は、長編小説など滅多に読まないし、ましてや三島由紀夫のようなボリューミーな文体は、読んでいる途中で満腹になってしまうのが常である。けれどもこの作品では、三島の美文によってゆるやかに流れる時間のうち、ほんの僅かを切り取っているものだから、非常にコンパクトに纏まっていて、いいとこ取りな訳である。例えるならときどき食べる喫茶店のパフェである。

もし、忙しい人が、三島の小説の中から一遍だけ、三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一遍を読んでもらえばよい。(解説より引用)

 

 

太宰治『晩年』

晩年 (新潮文庫)

晩年 (新潮文庫)

 

 教科書に載っていたメロスの次に、初めて太宰治を読んだのがこの『晩年』だった。それまで『人間失格』すら読んだことのなかった私は、太宰治はメロスの印象しかなかったんだけれど、この短編集はその印象をひっくり返してしまった。

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

 有名な書き出しである。太宰は、それほど難しい言葉や、捻くれた言葉を使っている訳ではないんだけれど、読めばそれと判る独特なものを持っている。単語の置き方や漢字の開き方、句読点の打ち方によって、心地よく胸を打つリズムを作り出しているのだ。第一、処女作に晩年と名付けるところがもう、私が太宰を愛する理由を集約しているように思える。

 

 

太宰治『女生徒』

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

 

 太宰が続いてしまうのだが、太宰の最大の武器である女性主人公モノに打ちのめされたい夜に、この一冊がないのは非常に心許なかったのだ。私の中では「太宰=女性一人称の名手」という図式が出来上がっている。色んな顔のある太宰だけれど、やっぱりこの短編集は特にどこをとっても上手いなあ、そして太宰っぽいなあ、と思える、コンセプトアルバムのような完成度である。

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太宰治津軽』『正義と微笑』

津軽 (角川文庫クラシックス)

津軽 (角川文庫クラシックス)

 

  

正義と微笑 (SDP Bunko)

正義と微笑 (SDP Bunko)

 

 なるべくなら偏りがないようにと選んだつもりだったが、気づけば太宰を四冊もチョイスしていた。だけどこの二冊も、私がいつか勇気をもらった作品で、これから先、また勇気をもらうことになるかもしれないと思うと外せなかった。

と、小説はここまでで、残りの四冊は詩集である。

もともと私は長い文章が読めない人間だった。というより、文章をぺろぺろと舐め回すように読む癖があって、長編小説なんかとても読み終えられないのだ。途中で力尽きてしまう。読書においてスタミナが足りないのだ。リハビリを重ねて、ようやくある程度の分量は読めるようになったけれど、やはり原点回帰というべきか、詩集を読むと心がふっと軽くなるのは今も変わらない。小説が、作品を通して何かを伝えるのだとすれば、詩は、短い文章で何かを伝えなければならない。たった数行、時には一文に込められた思いの、そのインパクトは、鈍感な私の胸をも容易に打つことがある。

鞄に入れて持ち歩くならば、やはり詩集がいい。

 

寺山修司少女詩集 

寺山修司少女詩集 (角川文庫)

寺山修司少女詩集 (角川文庫)

 

なみだは
にんげんのつくることのできる
一ばん小さな
海です

このポエミーさがたまらない。男はいつまでも少女に幻想を抱いているものである。殊に私など、年をとるごとにその幻想がかさを増しているようである。忘れたくないあの頃の気持ち、甘酸っぱさ、みずみずしさ、どのページを開いても、たちまち彼のマジックで、私は十歳にもどるのだ。

 

 

宮沢賢治詩集 

新編宮沢賢治詩集 (新潮文庫)

新編宮沢賢治詩集 (新潮文庫)

 

 宮沢賢治の詩を読んでいると、孤独であることに、意味があるような気がしてくる。孤独であるが故の強さ、賢さ、貴さが私を諭すのだ。感情的になりつつも破綻することのない、青い炎のような魂が、この一冊に詰まっている。

 

 

智恵子抄

智恵子抄 (280円文庫)

智恵子抄 (280円文庫)

 

 今でも冒頭部分を諳んじることが出来るのは、この本くらいのものだ。身体に刻み込まれたこの詩のリズム、もはやこの本を開く必要さえないと思わせるほど、私は高村光太郎の詩を読み耽って過ごした時期があった。けれどやはり、私の人生の中の一時代を象徴する一冊であるから、実家に残して行くことなど出来なかった。

『あどけない話』という有名な一遍がある。

智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。

そんな大袈裟な、と昔は思っていたけど、ここに来てからの私の生活は、めまぐるしいあまり、空を見る時間すらなくなっているのに気がついて、やっぱり東京は窮屈な町だ、と思ってしまった。

 

 

室生犀星詩集

室生犀星詩集 (新潮文庫 (む-2-6))

室生犀星詩集 (新潮文庫 (む-2-6))

 

 上京してから、「ふるさと」という言葉に過敏に反応してしまうようになった。故郷に居ながら思う「ふるさと」と、故郷を離れて思う「ふるさと」は、まったく違うものだった。上京した人達はみんな、始めはこんな風にセンチメンタルな気持ちになっていたのだろうか。だとすれば、忙しさの中でいつか心が麻痺してしまって、懐かしさとか、恋しさとか、そういう気持ちすら起こらなくなってしまって、それでこの街はつくられているのだろう。あまりに淋しい気がした。せめて、いつまでも今の気持ちを忘れたく無いという願いを込めて。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの

 

 

以上が私の選んだ12冊である。実は忙しくてあまり本を読む時間はないんだけれど、それでも、部屋に馴染みの本が並んでいるだけで、どこか安心する。一度目に本を読んだ時には、その作品の内容に感銘を受けるけれど、二度目、三度目に読んだ時は、今度は初めてその本を読んだ時の自分のことも思い出してしまうのだ。卒業アルバムとか、タイムカプセルとか、そんな感覚に近いところがある。

たとえこのまま私が都会人になってしまっても、私をつくっている芯の部分が揺るがないように、いつか故郷の友達と再会したときに、「遠くに行っちゃったなあ。」なんて言われないために、彼らには本棚からきつく見張っていて欲しい。

 

 

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