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或るロリータ

A Certain Lolita

多分、この先もずっと甘い夢を見て生きてゆくのだろう

ふいにそんなことを考えてしまって絶望することがある。生活にゆとりがあるうちは、漫画家とか総理大臣とかそんな叶いそうもない夢を追っているポーズを取っていても、それはそれで冗談まじりのロマンチストでいられるんだけれど、生活が困窮するにつれて、夢を見ている時間さえも日銭を稼ぐのに充てなければならないような気がしてしまうのだ。金がなければ夢も見られないのが世の中である。この究極の選択は多くの若者を苦しめただろう。そして私も今まさにその問題に直面している。

私が自らをポエマーと揶揄しはじめたのは思春期が終わる頃だった。その頃私は幾つも幾つもノートブックにポエムを書きなぐっていた。それはとても他人には見せられないような女々しいものばかりだった。悩みや不安、コンプレックスや性について、私は誰に見せるでもなく、ただ書き続けた。書いていると私は単なる消費者から生産者へとレベルアップしたような気になれた。少なくとも頭の中で絶えず巡っている猥雑で混沌としたあれこれを、ただそのままストレスとして抱え続けて生きるよりは、どこかに書き留めて、文字の書かれたノートとしてそれが存在しているだけで、私は生産者になれたのだ。

そんな私も、学生という高貴な身分を脱するにあたって、労働を行わなければならなくなった。労働はきらいだった。お金なんていらないから静かに暮らしていたかった。だが今の世の中で、私のような庶民の家に生まれた何の才能もない人間が、労働をせずに生きてゆくことは、すなわちニートというハイカラな名前を頂戴することになる。その方がよっぽど勇気が要った。私はあきらめて働くことにした。

挨拶ができない。人の目を見て話せない。私はそんな人間だった。始めの頃はひどく苦労した。けれど続けていくうちに、私もそこらの一社会人のふりをできるようになった。日々感じていたぎこちなさもなくなって、何も考えずとも自然に毎日を送れるようになった。決まった給料の振り込まれる口座と、安物の軽自動車と、狭い部屋と、何人かの友達さえいれば、私の毎日は未来永劫平和のままであるはずだった。

人間は贅沢な生き物である。平和であることさえ不幸に感じてしまうのだ。何をしても不幸。感情のすべてに不幸のバイアスがかかっていると言っても過言ではない。私はこのまま何の変化もなく片田舎の小さな会社で安い賃金をもらい、毎週末ごとに友達と酒を飲んで、そうしてまたブルーな月曜を迎えるというおんなじ繰り返しばかりの何十年先を想像して、逃げ出してしまいたくなったのだ。

仕事を辞めた。一ヶ月間自由に過ごした。色んなところに旅に出たし、懐かしい友達とも会った、朝から酒を飲んで眠っているだけの一日もあった。私には決定的にインプットが足りないと思っていた。妄想ばかりでおんなじような文章ばかり書いていても、そのうち空っぽになってしまうのがオチだ。だからとにかく一ヶ月間、これまでしたくてもできなかったことをなんでもしてやろうと思っていた。そうしているうちに上京の日が近づいた。少し不安になった。それから面倒でもあった。すべての生活をひとつのキャリーケースに詰めて、家を出なければならないのだ。怠惰な私には思い出の整理など憂鬱の種でしかない。

来る十一月某日、ひとり暮らしを始めた。何もかも新鮮な毎日だった。かつての私にはこんなに喜ばしいことはなかっただろう。夢にまで見た都会の日々。ビル山を縫って進む電車移動に、めまいのするような人の群れ。ああこれこそ都会だ。そう思った。今すぐこの感情をノートに書き留めないと!田舎者の青年はひとり路上でノートを広げた。書いても書いても書ききれなかった。右を見ても、左を見ても、何もかも初めてなのだ。……私は書かなくなった。

めまぐるしい日々の中で、ときどきホームシックにかかりながら、またそれを忙しさで拭い取っては、都会での私の一日一日は刻まれていった。ときどきノートを開いた夜にも、あまりの疲労に私は一文字も書けなかった。もう全部吐き出したかった。私の頭はそろそろインプットで爆発しそうになっていた。もう十分だ、少しまた時間が欲しい、上京の前に旅に出た思い出を書き留めたり、上京する直前の覚悟とか、心境とか、人生の一大決心を記録しておきたい、と思いつつ、もう完全には思い出せなくなっていて、あんなに自分で選んだはずのあらゆるインプットの数々が指の隙間からこぼれ落ちてゆくのが判る。季節はいつも早すぎるか遅すぎるかで、丁度よい花の見頃に立ち止まらせてはくれないのだ。

何もかもが手に負えない。急な坂道を下りながら、こんな風に勢いで書いた文章をネット上に公開することが、果たして私にとっての正確な記録になりうるのか、それは定かではないけれど、ただ「書く」という行為の心地よさが、私を生産者にしてくれるし、私はどんなにめちゃくちゃな文章であっても、何かを書いた夜にだけ、自分を許すことができて、そうしてよく眠れるのだ。都会は危険な場所である。こんなどうしようもない人間でさえ、気軽に甘い夢を持ち続けられる場所を、提供しつづけてくれるのだから。