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或るロリータ

A Certain Lolita

もう転職なんてしない

初めて買ったCDが槇原敬之の「もう恋なんてしない」だった。今では目にすることもなくなった8cm盤の小さなCDを、割れるほど聴き込んだのを覚えている。その頃私はまだ小学生だった。取り立てて失恋をした直後だったわけではないのだが、流行りのイカした派手な音楽に少し飽きかけていたのだろうか、少年はかつて触れたことのなかった「切ない」という感情に、すっかり心を掴まれてしまったのだ。

もう恋なんてしない

もう恋なんてしない

 

 今でも憶えているこのジャケット。古本屋の一角でワゴンに積まれていた中古のシングルだ。通っていた公文式の英語の教材を聴くために買ってもらったCDプレイヤーで何度も何度も聴いた。B面の『夏のスピード』の方が実は好きだったことは内緒である。

最近になってマッキーの曲をまた少し聴くようになったのは、TVで彼が歌っている姿を度々目にすることと、上京してやつれた心に『遠く遠く』という曲が痛いほど染みるからである。

同窓会の案内状
欠席に丸をつけた
「元気かどうかしんぱいです。」と
手紙をくれるみんなに

上京してから、地元の友達が代わる代わる遊びに来てくれたり、連絡をくれたりしている。ありがたいことである。彼らは私がこれまでずっと過ごしていた何気ない日常の、その何気なさの中で今でも過ごしているはずだ。ただ、私というちっぽけなひとりの友人がいなくなっただけの、少し隙間の空いただけの平穏な時間が、今も彼らの周りには流れている。その小さな隙間も、きっと時が経てば埋まってゆくものなのだろうけれど。

私には、ここに来てからもう随分と長い年月が経ったように感じられる。それは毎日があまりに目まぐるしく、初めての出来事の連続だったからだろう。私は、どんな経験も、すべて自分の糧になると思っていた。苦労は買ってでもしよう、との言葉通り、自分にとって険しそうな道であっても選んで進んでしまっていた。もちろん、経験することのすべてに意味があるという考えは今でも変わっていない。しかし、高い目標を持って、成長することに重きを置くことと、それに耐えうる身体や心があるかどうかというのは、まったくの別問題なのだ。

ハローワークまでの道のりはすっかり馴染みの通学路と化した。毎晩舐めるほど眺めた求人情報の中から目ぼしい会社の情報を印刷して持ち寄り、紹介状を発行してもらう。なけなしの金で買った履歴書を、左腕が痛むほど念入りに文字で埋めて、バランスの悪い字で宛名を書いた封筒へ入れ、郵便局へ走る夕暮れ。ニートとは思えない勤勉さである。

実は今日、履歴書を送りつけていたうちの一社から、面接をしたいという連絡があった。嬉しいことにはちがいない。けれど不安な自分もいる。今、私は慎重すぎるくらい慎重になっている。なぜならもう二度と転職なんてしたくないからだ。めまいのしそうな履歴書の山と、終わりの見えないハロワへの道程が、自由なはずの私の毎日をがんじがらめにして、じわじわと伸びていくばかりの空白期間を背に、幸福と安寧というふたつの言葉は今の私からもっとも遠い場所にある。雪解けのしない永遠の冬に取り残されたような気持ちだ。だからこれを最後に、もう転職なんてしないと言いたい。未来の私が、どうか無事であるように。