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或るロリータ

A Certain Lolita

私が高校時代に友達ができなかったわけ

懐古 懊悩

私には友達がいなかった。ただの一人もいなかった。人が「青春」と聞いて真っ先に思い浮かべるであろう高校時代の三年間にである。

私が生まれたのは九州の片田舎である。町には大きな川が流れ、山もあったし田園風景も広がっていた。むしろそれしかなかった。学校の数も少なく、中学校のメンバーのほとんどが小学校からのメンバーだったし、小学校のメンバーのほとんどが幼稚園からのメンバーだった。だから私は小学校に入るにあたって改めて友達を作る必要もなかったし、中学校もまたしかりだった。ずっと友達を作ることをさぼっていたのだ。というより、友達ってどうやって作るんだろう、と園児の頃の自分に訊きたいくらいだった。

そんな私が高校に入って、初めて故郷のメンバーとばらばらに分かれた時、どうなるだろう。そこで勇気を出して何か行動をしなければ、つまりは「ぼっち」になることは明らかだった。

スタートで失敗した

入学直後

高校受験が終わり、合格発表の日、体育館の入り口に張り出された受験者番号の一覧の中に、自分のと同じ番号を見つけた私は、大袈裟に喜ぶでもなく、心のうちで「まあ当然だろう」などと思いながらすぐに踵を返した。あまりの無反応ぶりに母親はてっきり落第して言葉を失っているものだと思ったらしい。

入学式。同じクラスに、オナ中(同じ中学校出身)の者が二人いることが判った。そのどちらも、いつも教室の中心ではしゃいでいるような面子で、根っからのインドア少年である私には相容れない部分があったのだけれど、一人も顔見知りがいない状況よりはずっと安心した。校則の厳しい学校だった。しかし不思議と靴下だけは何の指定もなかったから、何も考えずに黒い靴下を履いて入学式に臨んだら、会場の横一列、みんな真っ白な靴下を履いていたことを憶えている。たったそれだけのことで、私はさも自分が不良にでもなったかのような特別感に満たされていた。

やがて式も終わり、各々教室へ向かった。もちろんみんなまだ緊張していて、知り合い同士でひそひそ話しているばかり。喋らないことを気に病む必要もなかったし、私は大多数の人間と同じく、口をつぐんでじっと席に座っていただけだ。それから学校案内というのがあって、クラス全員で担任の先生について学校内をぐるぐる歩き回った。ここはこういう教室です、こういうものが置いてます、とそんなことを延々と聞かされるばかり。だがここでコミュ力に長けている者達は既に行動を起こしていたのだった。

見ればオナ中の二人がもう他校出身のいかにも派手派手しいやつと楽しそうに話しているではないか。先生の説明におどけて答えたりしながら、周りの笑いを誘っている。私はこの時、少し危うい予感がした。オナ中の二人は、きっとすぐに遠いところへ行ってしまうだろう、と。

自己紹介

学校生活の始まりにおいて、まず重要になってくるのが自己紹介だ。私の出席番号は後ろの方だから、緊張しいな私はいつも最初の一人目の自己紹介を聞いているうちにも、動悸が激しくなり、手汗が止まらず、引きつった笑顔で拍手をする。それを自分の番が来るまでずっと繰り返すのだ。

私にはかの有名な涼宮ハルヒのように、インパクトのある自己紹介ができるほどの度胸はない。かといってスポーツもやっていないし、話せるような趣味もない。そのくせ妙に奇を衒いたがる癖があるのだ。だが、致命的に私は声が小さかった。人前に立つとその特徴は顕著に現れた。聞こえないジョークほど場を白けさせるものはないだろう。それならいっそありきたりな文言で短く済ませた方がいい。などと葛藤しながら、結局大した自己紹介はできなかった。

もちろん、自己紹介で面白いことを言えたなら、友達をつくりやすくなることは間違いない。私も他人の自己紹介を聞きながら、気の利いた冗談を振りまけるような人間がいたら、ぜひ仲良くなりたいと思うからだ。だが、そういう人間は結局みんなから仲良くなりたいと思われているから、私のような人間がその人波を押しのけて一言の挨拶を寄越すのさえ、極めて困難な話なのである。

昼休み

さて、学校生活において孤独をもっとも際立たせる時間はいつだろうか。簡単な問題である。それは昼休みだ。授業中は黙っていても時間は過ぎて行くから、孤独が故に押し黙っている者と、勉学に励んでいる者の区別はそうそうつかない。だが、昼休みともなれば、一斉にそれらの区別はなされる。

四限目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った途端、机をくっつける者、椅子を持って移動する者、購買へ走る者、学食へ連れ立って向かう者、様々いた。私はおもむろに鞄から母のつくった弁当を取り出して広げる。そこに誰一人として入り込む余地はなかった。入学して初めての昼休みのとき、一度だけオナ中の二人が「お前もこいよー!」と誘ってくれたことがある。ここが私の人生の分岐点だったのかもしれない。だが彼らが既に五、六人ほどのグループをつくってはしゃいでいる様子を見ると、人見知りの私がその中に入って行けるだけの勇気など持ち合わせているはずがなかった。あの居心地の悪そうな空間で過ごす心労と、孤独でいることのむなしさを比べると、後者の方が私にとってまだ易しいものだったのである。

学校行事で失敗した

文化祭

文化祭といえば、青春の象徴である。バンドを組んで演奏したり、劇をやったりと、どんな人もスポットライトを浴びることのできる可能性があるのが文化祭だ。もちろん私には縁遠い話である。ほぼ一日自由に学校内を見て回れるようになっていて、本当はバンドの演奏なんかにも興味があった私だけれど、体育館の隅にぽつんと座って観覧するという屈辱を味わうくらいなら、iPodでお気に入りの音楽でも聴いていた方がマシだという考えに至ったのだ。

見れば他校の制服を着た女子がたくさん歩いている。私の学校はほとんどが男子生徒だったから、あの水風船みたいな太ももを晒して歩く華の女子高生など目にした日には、たちまち立ちくらみを起こしてしまうのだ。中には我が校の男子生徒と、他校の女子生徒が仲よさげに腕を組んで歩いている様子も見受けられた。きっと恋人同士なのだろう。先生、彼らを取り締まってください、あんなに秩序を乱す不埒な者を野放しにしておくのですか、と爪を噛みながら私は空き部屋へ隠れた。

その部屋は、もう使われていない機材などが仕舞われていて、光のほとんど入らない薄暗い部屋だった。そこは度々私の隠れ家に使われることとなる。文化祭の一日中、その部屋に座って缶コーヒーを飲みながら、ナボコフのロリータを読んでいた。この世の華やかなものの一切が眩しくて仕方がない時期だった。

ロリータ (新潮文庫)

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修学旅行

修学旅行、それはまるで魔女狩りだ。孤独な者を炙り出すための仕掛けが幾つも用意されていて、それまでうまくやり過ごしてきた私も、いよいよ処刑台に立たされることとなった。

「好きな人とグループを作っていいよ」

その言葉は、多くの人にとっては教師の優しい取り計らいに聞こえるらしい。だが、私にはまったく逆の意味にとらえられた。修学旅行の時期が近づくにつれ、私はこの日がくることを恐れていたのだ。孤独の罪で自分が磔にされる日、いつか必ずくるはずのその日までの期間が、もしかしたら永遠であることを願っては、その時限りの都合のよい友達とやらが空から降ってくるのを待ち構えていた。

生憎、友達など降ってくるはずもなくその日は訪れた。私にはどうしようもなかった。じっと席に座っていると、先生が、

「お、もう班できたのか。早いな」

と笑いかけてきた。

「あ、いや、まだです……」

消え入りそうな声で答えた。先生は、「誰でも好きな人と組んでいいからな」と、私の肩を叩いて励ました。本当は気づいていたのだろうけど、それを口に出さなかったのだ。私は泣き出したい気持ちで、自棄になって、教室の隅にいたオタクグループにすり寄った。

「あの、入れてくれん?」

その声は、今思い返しても私の人生で一二を争うくらい震えていた。

おわりに

私は多分、孤独を愛しすぎていたのだろう。思いつめた男女がお互いに依存しあうような関係と似ている。私は孤独という概念そのものを愛するようになった。そうしていると自分の今の状態がとても高貴で健康的なものに思えた。私は決して間違っていない、そう思い込むことは、友達をつくることよりずっと楽なことだった。もはや私は悩んですらいなかったのかもしれない。そのことが私の孤独を加速させたのだ。

どうにか三年間を乗り切って、高校を卒業した私に、友達と呼べるような存在は残らなかった。もちろん、三年生にもなれば、ときどき会話をすることのある相手くらいは、クラスに何人かできた。それも異様な話である。通常、人がたったの三日もあれば成し遂げてしまうことに、私は三年もかけていたのだから。だが、話し相手と友達はちがう。私は高校の同級生の誰とも、一度も遊びに出かけたことがなかったのだ。学校帰りの喫茶店も、マクドナルドも、ゲームセンターも、何ひとつ、一度たりともなかった。

私の孤独な病は、それから二十歳を越えたあたりで憑き物が落ちたように快方へ向かって行く。人生の風向きは自分でもどうにもできない部分がほとんどで、自分にかかる責任は極めて軽い。選択肢のどちらを選べばよいかなんて、誰にも判らないのだから。ただ何気ないほんの些細な行動ひとつで、まったく違う方角へ吹く風にひょいと飛び乗れたりするから、もう少し続けてみようかと思わされてしまう。人生とは、ギャンブルよりたちが悪いものだ。

あの三年間が私にとってどういう効果をもたらしたかは、まだ判らない。あの三年間がなかったら、今の私はなかったような気もするし、もしあの三年間がもう少し輝かしいものであったなら、私の人生は今よりずっと明るかったかもしれない。もちろん、その逆かもしれない。だから、過去というのは懐かしむだけで十分なのだ。それ以上に、深く省みる必要などない。ただ、ふいに思い出すと、どうにもあの三年間が、これからの私の人生にとって、貴重な期間だったような気がしてしまってならないのだ。