或るロリータ

A Certain Lolita

ホッピーの魅力

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ホッピーをご存知だろうか。若者の酒離れが叫ばれる昨今、宴会の席で「とりあえずビール」の覇権が続いた日本の歴史も今や変革を迎えようとしている。

そもそも、何故「とりあえずビール」なのか、その理由を考えてみる。

  1. 一杯目の注文をスムーズに行うため。
  2. まずは喉の渇きを潤すため。
  3. 風習だから。

主に挙げられるのは以上の三つである。

大勢の飲み会で、一人一人に注文を確認していたのでは、いつまでたっても乾杯ができないから、初めはビールを頼んで、あとはご自由に、というスタイルが一般的だ。これまで私が経験してきた飲み会のほとんどがそうであった。だとすれば、一杯目の注文として全員が一致したものを常に頼むのであれば、それがビールでなければならないという決まりはない。例えばそれが、焼酎であっても、ワインであっても、ドライマティーニであっても構わないのだ。

だが、酒の好みは千差万別。全員が焼酎を飲めるとは限らないし、ワインにも赤、白、こだわりがあるだろう。カクテルなんてもってのほかだ。限りなく互いが譲歩しあった究極の妥協案として、現在、ビールが開宴の一杯目という役割を担っている。だから気の知れた友人少数と飲む時には、私は構わず一杯目から冷酒を求めることもあるし、食事に合わせてワインだったり、もちろん普通にビールを飲むこともある。そういう形がもっとも自然で、誰もが気持ち良く宴会に臨める体制であると思うのだが、人数が増えるとそうもいかない。一杯目の注文に手間取っていると、私のような呑んべえはうずうずしてしまうものだし、それなら細かいことは考えずに「とりあえずビール」となってしまうのだ。

また、喉の渇きを潤すという点から考えても、やはりビールは強い。今の季節であればその勢いは若干の翳りを見せるものの、夏になれば駅から店まで歩く間にも喉は乾いてしまうし、店に入り、席に着いてと、そうしているうちにもまずは一杯目の軽い酒をきゅっと飲み干してしまいたい欲求が膨らんでしまうものだ。喉が乾けば乾くほど、蒸留酒など頼む前に、まずは一杯ビールを挟んでしまうのが常である。

そうした鋼の理論を盾に、ビールはまるで大物政治家の一族のように、揺るぎない基盤を築いてきた。酒に馴染みのない大学に入りたてのグループの飲み会であれば、あるいはスクリュードライバーのような爽やかなカクテルがその役割を果たす場合もあるのかもしれないが、年をとるにつれてそんなものは甘ったるく感じるようになる。そうするともはや一杯目のビールの存在に疑問を抱くことすら無意味なことのように思えてくる。

そんな時、私が出逢ったのがホッピーであった。

何を今更、と思うかもしれない。それもそのはず、ホッピーは私が生まれるずっと前から存在しているのだから。ただ、私の地元の飲み屋ではあまり見かけることがなく、恥ずかしながら、私は二十歳を越えて初めてホッピーの存在を知ったのだ(よく考えたら当たり前だった)。

上京して初めて、新橋の小さな居酒屋でホッピーを頼んだ。ジョッキに少しの焼酎と、ホッピーの黒い瓶がそのまま出されて、少し飲み方に戸惑ってしまった。自分で注ぐというところにも、面白味があってよい。

飲んでまず思ったのは、「ビールより飲みやすい」ということだった。色もビールに似ている。味もそれに近い。気がする。調べてみると、もともとビールが高級品だった時代に、その代用品として開発されたのがホッピーらしい。この不況の時代に、そうしたレトロな飲み物に妙に親しみを感じてしまうのは無理もない話である。

また、ホッピーにはプリン体が含まれていないため、ビールよりも健康的であるとされている。そもそも、プリン体など気にかけたことのない私には無関係な話だが、女性の支持は得ているようだ。

ビールに準ずる存在でありながら、ビールよりも飲みやすい。安価で、様々なリキュールとの割材にも使えて、アルコール度数の調節も可能とくれば、こんなに万能な飲み物はなかなかない。勝手を考えると、ゆうにビールを上回っていると言える。ビールだって、今や一店に一種類の時代ではない。人々の好みも細分化されているし、キリン派とアサヒ派の溝も深まるばかり。本来なら、ビールの立場を奪い取って、「とりあえずホッピー」という時代が来てもおかしくないのだ。となると、後は知名度だけが問題である。宴会の場において、みんなが「とりあえずホッピー」という共通認識を持ちさえすれば、それはビールよりもずっと無難な選択になりうるのだ。

浅草にホッピー通りと呼ばれる場所がある。道の両脇にひしめく小さな居酒屋のそれぞれの店先に席が設けられていて、通りに面した場所で一杯ひっかけられるという、田舎者に言わせてみれば「粋」な場所である。そこで目にするのは「ホッピー」の文字の記された提灯や看板、ポスターなど。そこで飲んだホッピーは死ぬほどうまかった。単に外で飲んだからうまいのか、昼間から飲んだからうまいのか判らないが、とにかくうまかった。ホッピーの時代は近いと思った。

 

以前ホッピー通りで撮った写真。

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