或るロリータ

A Certain Lolita

久しぶりに家族に会った

二十年以上住んでいたあの家の私の部屋が空っぽになってから、もう三ヶ月になる。始めのうちは引っ越した部屋の写真や食べている料理の写真など、芸能人さながらに逐一家族のグループラインに報告していた私だが、生活が忙しくなるにつれ、用事があるときくらいしか自分から連絡を取ることはなくなっていた。

それでも妹や友人は、ときどき「死んでないか」みたいな茶化したラインを送ってきて息の詰まる毎日に懐かしい安堵を与えてくれたんだけれど、私のホームシックは思いのほか進行の早い病で、そんな気休めの治療では到底完治できそうもなかった。

「ああ、もう帰りたい」

故郷への想いが積もりに積もって、家族や友人とのラインのやりとりの中でも、ブルーな一面をこぼしてしまっていたのだろう、昨年末に、急遽母親から「二月に会いに行く」との連絡を受けたのだ。もっともそれが、私の精神状態を慮っての優しさなのか、観光がてらの家族旅行なのかは定かではなかったが、とにかく、私は心の中でジャンプして喜んだのだった。

しかし、あの腰の重い父親が家族で飛行機に乗る姿など、私には想像もできなかった。それは我が家にとって大事件であるはずだった。私も淋しかったが、家族もまた、淋しかったのだろうか。

「兄貴のいない生活にもすっかり慣れたよ」

そんな風に妹に言われたとき、私は人間の持つ「忘れる」という自然治癒力が心底憎く思えた。人はいつまでも別れをひきずらないために、忘れることができるのだろうけれど、我儘にも私は、もう少しくらい忘れないでいて欲しかったのだ。

さて、そうしていよいよ二月某日。私は不本意にも失職した状態で、つまりはニートという名札を下げて家族の面前へ姿を現さなければならず、決まりが悪く、恥ずかしい思いもあった。「久しぶり」というのも変だし、「元気だった?」というのも他人行儀な気がする。家族相手に緊張するのもおかしな話だが、人はたった三ヶ月会わないだけで、その相手とどんな距離感をとっていたか、確信を持てなくなってしまうのだ。

といいつつも、一目見ればやっぱり家族だった。一瞬で元通りだ。ビールを飲みながら、久々に父親ともちゃんと話をしたし、妹には華の女子高生の忙しない生活模様を聴かせてもらった。

帰る場所があって、いつまでも待っていてくれる人がいる。もしかしたら二度と帰らないかもしれないのに、それでも待っていてくれる人がいるのだ。

だめになったら 帰ってこいよと ふるさと訛りの あたたかさ

両親の言葉に、ふとそんな都々逸が浮かんだ。