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或るロリータ

A Certain Lolita

文芸フェスで夜の丸の内へ行ってきた

風のさわりが肌に優しくなり始めた早春の宵、ようやく社会復帰した私は久しく終業後の心地よい気だるさを引きずりながら、中央線の上り電車の混み合う車内へ乗り込んだ。向かう先は東京駅丸の内ビルディング。今宵はなにやら文芸フェスなるイベントが行われるというのだ。

東京の人は贅沢である。こうした素敵なイベントが、夜な夜なそこいらで行われていて、簡単に足を運ぶことが出来るというのだから。

登壇するのは小説家の川上未映子さんと、イーユンリーさんという海外の作家であった。実は私はふたりの作品をまったくと言って良いほど読んだことがないのであった。川上未映子さんの作品であれば図書館に行った折に数冊パラパラとめくったことがあるが、腰を据えて読んだという記憶はない。ただ私は美人作家を生で見たいというみだらな発想でもってわざわざ慣れない都会の真ん中へ赴くことを決めたのだ。

というと少し道化が過ぎるだろうか。実際のところ、対談のテーマである、翻訳によって文体やリズムはどこまで届くのかという話に興味を誘われ、ひと月ほど前、まだニートだった私は軽い気持ちで参加予約を申し込んだ訳である。

仕事の都合で途中参加となってしまったのだが、イーユンリーさんという方は英語で話されるため、入り口で同時通訳用のヘッドホンを渡されて、そんな経験もちろん初めてだった私は、何やら間違って国連会議にでも迷い込んでしまったのかと思い気おくれしながら会場へ入ったのだった。

内容については私のような無学な人間が口を挟む余地もなかったけれど、例えば川上さんの言う、文学における翻訳は単なる言葉の意味をたどるばかりではなく、時には文脈が変わったり全く遣われていない言葉を遣われることがしばしばあり、それは自分がその作品を読んで得られた体験を、どうにか別の言語でぴったり表そうとした結果なのだという考えには、翻訳者の方のもどかしさを感じられた。私は滅多に海外文学を読むことがないんだけれど、それは翻訳なんて所詮作り物だという偏見を持っていたからに違いない。文体至上主義の私には、書き手の肌ざわりがじかに感じられないであろう海外文学は、どうしても敬遠されたのだ。どうにもあいだに翻訳者を挟むことが、ひとつの壁を作ることのように思えたのだ。しかしそれでは字幕の映画しか見ないと言い張る偏屈な大学生と変わりない。声優も翻訳者も、単なるボイスチェンジャーや電子辞書のような機械ではなく、それぞれが職人としてむしろ原作を越えようとさえもがいて作品づくりに臨んでいるはずなのだから、そこに優劣という概念を持ち込むのが甚だおかしい話である。

また御二方は創作にかかるにあたって、どんな話を書こうというテーマをはっきりと決めてしまわないのだという。それをイーさんは地図を描く行為だと喩えていた。行き先の決まった運転より、どこへ行くか分からないドライブの方が楽しいものが出来るに決まっていると。それは全くその通りである。私のような人間は、久しく労働者と名乗る権利を取り戻して、立ち寄った東京駅八重洲口から少し歩いたところのネパール料理屋で、名も知らぬビールやらラム酒やらを流し込み、明日のことすら考えられなくなるほどに思考の回らない状態で、書き始めと書き終わりすら何も決めずにこの文章を書き出している始末である。考えずに書いて何か煌めかしいものが生まれるならば、それがいちばんであるが、そんなことができるのはきっと天才と呼ばれる方々のみで、私はそれに該当しない単なる文字叩きの酔っぱらいであるから、何ら関わりのない話だったのかもしれない。

さて、私のもっとも知りたかったことといえば、文字書きとして一流な彼女らが、推敲の猶予さえない、この生の現場において、果たしてどのような話を展開できるのかということであった。要するに文章が面白い人は喋りも面白いのかということだ。特に川上さんなんて文体のリズム感が音楽的だなんて言われるくらいだから、きっとポンポンと息をするように詩を生み出している人なのかと思ったら、案外普通のねーちゃんといった面持ちで上品に受け答えを済ませているものだから拍子抜けした。

やがてイベントが終わり会場の外では御二方の作品が沢山売られていて、そうして売れていた。私は買わなかった。なぜならお金がないからだ。お金がないのに本を読むというのは、パンがないならケーキを食べるというくらいありえない話で、誰にも理解され難いであろうから、せめてこのひと月の生活がうまくいき、給料というものを手にしたあとで、本屋にでも足を運ぼうかと思う。

 

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すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫)
 

 タイトルが素敵だから一度読んでみたいと思っている。