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或るロリータ

A Certain Lolita

社会復帰を果たして最初の一週間が終わった

労働 私情

金曜日の夜だ。最高の瞬間だ。この感覚を味わったのは数ヶ月ぶりである。地元にいた頃はいつも金曜日になると私は浮き足立っていた。帰ったら友達とお酒を飲めるからである。仕事中でもどんなお酒を飲むかとかどんな料理を作るかとかそんなことばかり考えていた。もっとも金曜日でなくても、お酒自体は毎日のようにひとりで飲んでいたんだけれど。

私にとって労働とは、賃金をもらうために仕方なくすることであった。一日のほとんどを奪ってしまう不自由の最たるものだった。世間から身を隠すためのむなしい鎧であった。だから私は働かなくて済むのなら永遠に働きたくなどないと思っていたし、日がな一日パソコンの前にいたり本を読んだり文章を書いたりときどき散歩に出かけたりして、それで暮らしてゆけるならそんなに幸せなことはないと思っていた。だけどそれを叶えるためには私のブログから得られる収入では到底足りそうもなかった。そんなもの国民健康保険料を払えばすべてなくなってしまうからだ。

そういうわけで私は地元にいるあいだ、別段興味もないような仕事をしていた。慣れてしまえば楽な仕事だった。休みも多かったし、残業などまったくなかった。仕事中にラブホテル街に営業車を停めて昼寝をしていたこともある。だけど給料は安かった。生活がとても成り立たなかった。働けば働くほど私の貯金は少なくなっていった。危うく破産する直前で私は仕事を辞めたのだ。

次に就いた仕事は倍の給料がもらえた。だけど今度はきつかった。暇な仕事ほど苦しいものはないと思っていたけれど、そこで勤め始めて考えが180度変わった。少しでいいから休みたい、もう解放されたい、そう思いながら私は耐え抜き、前よりずっと沢山もらえたはずの給料はストレスによるやけ食いと引越し資金とで泡沫のように消えた。

この世でいちばんいいのは楽で給料が高い仕事だ。次にいいのは楽で給料が安い仕事か、あるいは大変だが給料が高い仕事。これは人によってどちらを優先するかが変わってくるだろう。最後に、大変だが給料も安いというおそろしい仕事が続く。そうして私はずっと、楽で給料がたくさんもらえる仕事にばかり目が行っていた。そんな仕事あるはずないと思いながら、周りの人間にもある程度妥協を覚えることを諭されながら、やっぱり自分の人生をあきらめきれないでいた。周りの友達はなぜか楽で高収入のやつが多かったし、それを聞いて爪を噛むばかりの日々だった。

ところが私は気付いたのだ。世の中でいちばんいい仕事は、楽で給料が高い仕事などではないということに。いちばんいいのは、「楽しい仕事」だということに。それはどんなに楽な仕事よりも、あるいは働かずに親の脛を齧り続けているニートよりも、貴いものだ。どんなに楽な仕事だって、どうせ労働時間中は少なからず拘束されているもの。どうせ一日の半分以上拘束されるんなら、それが楽しいに越したことはない。それが自分の人生を豊かにすることに繋がるに越したことはない。そんな甘い話があるものか、と人は言うだろうけれど、「楽しい」という定義も感情も、人によって違うものだからこそ、自分に合った仕事さえ見つければ、きっと明日はあかるくなるはずだ。単純に楽なだけの仕事というならば、そのポストを多くの人が争うかもしれないが、「その人にとって楽しい仕事」であれば、それは、人の数だけ世の中に存在しているのだから。捨てる神あれば拾う神ありという感じで、不思議なほどに人生は流れ着くところへ流れ着いてしまうものである。私は終わったはずの青春を思い返すばかりの灰色の日々を越えて、ようやく労働というものに一筋の光を見出すことができそうだ。