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或るロリータ

A Certain Lolita

空の綺麗な町だった

懐古 徘徊

東京には二種類の人間がいる。それは東京で生まれた人間と、田舎で生まれた人間である。私は後者、東京の空を狭いと思ってしまう方の人間だ。あらゆる場所で人々は持ち寄った故郷の話をする。故郷の話は人と人とをいちばん初めに繋ぐきっかけになる。そうして同郷の人と出逢えた日には、何やら気恥ずかしいくらい安堵して、妙に気取った装いで、互い都会の言葉で話したりする。

私は人生で数えるほどしか、ひとりで酒場へ行ったことがない。淋しがり屋のくせに、臆病者なのだ。ひとりで酒場へゆくのには、たいへんな勇気がいる。あの重い扉を開けるのに、この若くて細い腕はあまりに頼りないのだ。だけどいざ入ってみれば、顔をしかめた大人たちも、案外優しかったりして、後悔したためしはない。

ゆうべ私は仕事を終えて、いつも通り過ぎるはずの駅で降りた。初めて降りる駅だった。ひどい雨の夜だったが、初めての街は美しかった。雨に滲んだ街灯が奇跡のように光っていた。

初めて入った酒場でカウンターに腰掛けて、ウイスキーを頼んでみた。みんなひとりだった。店主や、隣に座っていた人と会話をする。なんだか大人になったみたいだ。あるいは子供に戻ったようでもある。雨に濡れた肩は冷えたが、人のあたたかさに触れながら、夜は更けていった。

その人は高村光太郎が好きだと言った。それは私のもっとも好きな詩人の一人である。

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。

 あの一節を誰かの口から聞くのなんて、国語の授業以来だった。その人も田舎生まれだった。開いた本の活字のうちに、淋しい身の上の拠り所を見つける人のいることが、たまらなく嬉しかった。きっとそれは恋でもなく友情でもなく、なにやらほかに言い表しようのない仲間意識というものだ。夜はきっとそうした淋しい人たちの集まりでつくられているのだろう。そう思うと私は自分ひとりの靴音を聞いて歩くことに、もう恐怖しなくなった。

あんなに空の綺麗な町もそうそうないだろう、と故郷の話をするたびに思う。なんでもない日に外を歩いて見上げた空がいちばん広々していた。あるいは日が暮れて部屋の窓から遠くの町灯りを眺めるのも好きだった。今でもやっぱり私はふるさとが恋しいのだろう。いつか過ごした日常を夢見るなんておかしな話だけれど、ここで暮らしてゆくのには、思い出だって必要だ。酔っ払って電話をかけたふるさとの友達が、まるで昨日まで一緒に遊んでいたみたいに、当たり前に話をしてくれたことが嬉しかった。私は、あの町が好きだから、あの町を離れたのだ。そうして、淋しいのは私だけじゃない。さよならは、ひとりじゃできないものだから。淋しさの償いに、私はこれからも、強く生きてゆかなければ。

 

今週のお題「好きな街」