或るロリータ

A Certain Lolita

酔っぱらうということは、憂鬱を先送りにするということである

絶望の朝はいつもアルコールの残り香がする。たとえば楽しい夜があったなら、どうにかその夜を終わらせたくないと思ってしまうのが人間である。そうして夜を引き延ばすために酒を飲み、月曜日から金曜日までのあいだに起きたあらゆるもやもやを、火照った頭の熱で溶かして酒場の喧騒へ流してしまおうとするのだ。

だからといって翌朝になれば、何一つの悩みも残さず清々しい目醒めを迎えられるかといえばそうではない。走っている場所が明るければ明るいほど、急にトンネルに差しかかったときに、その暗さにうろたえるものである。私は酒が好きで、そうしていつも酒を飲んでばかりいるが、未だに酒を飲んだことを後悔しなかった朝はない。それは決まって私が酒を飲みすぎてしまうことに起因する。そして飲みすぎた折に私はことごとく理性をゆるめてしまうのだが、それがよい方向に作用したためしはほとんどない。普段無口な私が酔うとおしゃべりになって、Barで隣の席に座った美しい女性と仲良くなり、ふとももを触るに至ることはまずないだろう。確かに私は酔うとおしゃべりになる。だが喋りたいという欲求が先立つばかりで、頭の回転は鈍くなる一方なのだ。だから、舌がもつれてろくな話などできやしない。酔えば酔うほど私は「つまらない話をべらべらと口にする人間」へと堕ちてしまうのだ。

それは今朝も同じだった。同僚と酒を飲んで語り明かし、金もないのに居酒屋に四時間近く居座っていた私は、それから駅で彼と別れ、ひとりの夜がおそろしくてカラオケへ立ち寄ってしまったのだ。ふるえる指でデンモクを操作してマイクを握り、尾崎豊を熱唱していたときのことなど朧げにしか憶えていない。酔っぱらっていたためかほとんど音程などめちゃくちゃだったし、おまけに喋り疲れた後だったのでひどく喉を痛めてしまった。ドリンクバーの味噌汁とコーヒーを交互に何杯も胃に流し込んだが焼け石に水だった。酔いの熱がすっきりと冷めるのにはまだまだ時間がかかりそうだった。

やがて一時間半が経過して、かすれた声で会計を済まし、カラオケを後にした。そして、さまようように家路をたどり冷たい部屋にころがりこんだ。脱ぎすてたコートを押しのけヒーターにしがみついた。軋まないベッドの上で優しさを持ちよる相手もなく私はひとり眠った。

頭を抱えながら目を醒ました。なんだかよく憶えていないが酔っぱらっていたのだけは憶えていた。おまけに喉が痛い。寒気もする。こんなに一遍に不幸が襲ってくるなんて、よほど酒の席で悪いことをしたのだろうか。月曜日、同僚に顔を合わせるのが少し怖い。酔っぱらった私はかつて「絡み酒」と揶揄されるほど人恋しさ故に人格が豹変していた。だから真面目なタイプの友達にはあまり好かれる飲み方ではなかった。この頃は気をつけて大人しい飲み方をしていたはずなのだが、仕事の話を存分にできる相手を見つけたことと、疲れが募っての久々の酒だったことで、思わず飲みすぎてしまったのだ。そんな自己分析など後の祭り。彼にしてみれば知ったこっちゃない。私はもう考えるのをやめにしようとして立ち上がり、煙草のにおいの染みついたコートをハンガーにかけてファブリーズを振り、お湯を沸かして葛根湯を飲んだのだが、精神も肉体も、陽が昇るにつれてみるみる弱ってゆく。すべての元凶は酒を飲みすぎたことだ。飲みすぎなければ舌がもつれて後悔することもなかっただろうし、カラオケに行くのも我慢して喉を痛めることもなかっただろうし、しっかりと睡眠をとって風邪をひくこともなかっただろう。夜を引き伸ばしたいがために、すべて不健康な選択肢を選んでしまった。先送りにされた憂鬱が今届いて、その憂鬱から逃れるためにまた酒を飲もうとする。……少なくとも風邪が治るまで酒はよそう。そうしよう。この文章はすべてろくでもない私の反省文である。

 

傷つけた人々へ

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