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或るロリータ

A Certain Lolita

ジュリーのようなエロい男に憧れる

音樂

エロいと言われる男に憧れる。それは決して飲み会の席で下ネタを言って許されるというようなアドバンテージが欲しい訳ではない。スカートめくりをして大目に見られたい訳でもない。いいや、それらが許されるならそれに越したことはないけれど、私が憧れてしまうのは、女性が思わずうっとりしてしまうような「エロさ」をその人自身が持っているという状態のことを指している。もっとも私は女性の気持ちなんて判らないから、すべて憶測で語ることしかできないんだけれど、少なくとも私は性別の壁を超えてそのエロさを滲ませている男をひとり知っている。それはジュリーこと沢田研二である。

沢田研二といえば昭和の大スターだ。私は二十代だけれど周りの友人は私がカラオケでいつもジュリーを歌うからその名は知っている。だが、触れる機会のないままに育ってきたほとんどの若者は、ジュリーのことなんてまるで知らないのではないだろうか。

あの頃のアイドルが総じてレベルが高かったというのは、単なる年配者の懐古主義ではないだろう。今にしてYouTubeなどで昭和時代のテレビ番組の映像を観てみると、そのオーラの違いに度肝を抜かれる。たぶん無言でステージに突っ立っているだけでも観客に息を飲ませるであろう美貌をして、姿を隠していても聴き惚れさせるような歌声を持っている、そうした反則的存在がジュリーなのである。私はこの文章をひどく酔っぱらった状態で書いているから、おおよそこのあたりで文章があられもない方角へ破綻してしまいそうだから、そろそろそのジュリーの魅力については動画とともに紹介するのがよいだろう。


沢田研二💃サムライ✩1978.1.21R

とてもかっこいい。かっこいいとしか言いようがない。私はこの年にして未だにジュリーに密かに憧れながら、スナックではいつもジュリーを歌うんだけど、最近めっきりスナックに行かなくなってしまったから、それも叶わなくなっている。たとえば女の子が金髪のナイスバディの外国人のねーちゃんを見て、「この人エロい」と思うのと同じような感覚で、ジュリーは男から見てもエロい。そうしてジュリーを見るたびにエロいという言葉がどんどん明るいものになってゆく気がする。人は、エロくあろうとすることが、実は重要なんじゃないかしら。そんなことを思いながらジュリーの動画を見て酒を飲む四月の末。