読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

或るロリータ

A Certain Lolita

失業からスタートした私の2016年

ちょうど去年の今頃だった。地元で勤めていた仕事を辞め、上京し、新しい仕事を始めて一か月ほどが経過していた。上京する前に抱いていた東京へのイメージは、かつて旅行に訪れた際の東京駅や日本橋の襟を正したビル群や、活気あふれる上野浅草のあたりであって、東京なんてどこもそんな異空間が広がっているものだとばかり思っていた。だが実際に配属されたのは東京でもなければ横浜とは名ばかりの片田舎、大きな国道が横切っていて、排気ガスとため息に汚れ、さびれた商店街の中を人はみなうつむいて歩き、駅前の蕎麦屋が美味いこと以外は愛すべきところなど見つからない町だった。私の住んでいた社員寮は新築だったが狭くて壁が薄く、じっとしていられないほど寒い六畳一間の、もはや小綺麗な牢獄だった。

最寄り駅は三つあったがどれも遠く、真冬の月の出ている時刻に家を出る私には、何枚コートを羽織っても骨のきしむような痛みを伴う長い道程だった。休みの日にはJRの駅を利用して、近くの大きな街へ買い物へ出かけた。日用品を揃えるのにも電車へ乗らなければならなかった。腕のちぎれるほど買い物袋を抱えて戻った夜半、ほんの数駅離れるだけで都会の匂いがしていたのに、と、高架より静まり返った町を見下ろして憂鬱。無人駅の灯りは薄暗く、自動販売機の光のみ暗闇に浮かび上がる。帰る故郷はどこにもなく、待っているのはあの狭い牢獄だけだった。

日を追うごとに身体はおかしくなっていった。自分は呑気でマイペースで、ストレスなんてほとんど感じない人間だと思っていた。だが、毎日雨の中にさらされている生活の中で風邪をひかない人間がいないように、私もまたあらゆる苦しみに傘もささずに打たれながら歩く暮らしをしていたから、当然だ。学生時代は本ばかり読んでいて、スポーツの経験もろくにない私が、真冬にもかかわらず寒空の下で全身の衣服がしぼれるほど汗に湿る重労働をし、先輩社員からは罵詈雑言を浴びせられ、一切の休憩は与えられず、定時なんてあってないようなもの、月の出ている時間に出社し、月の出ている時間に家に帰る日々、ふらつく足取りで電車に転がり込んで、駅から家までの帰路も足をひきずりひきずり、意気込んでいた自炊などほとんどできる余裕もなく、スーパーで買った半額の弁当に手をつけようとするも疲労で箸が震えて思うように食べられず、倒れこんだ六畳一間の硬い床で眠り、風呂に入る時間さえないこともしばしばあった。生きている意味などないように思えたが、そのことに気づく暇さえ与えられなかった。

年の瀬を迎える頃には私はボロボロだった。身体に不調が出ているだけで、心は平気だと強がってはいたけれど、おそらく精神状態もかなり不安定だった。毎日、寝る前になるとわけもなく涙が止まらなかったからだ。体調不良で一日だけ会社を休んだ。すると心がすうっと軽くなった。逃げ道だってあるということを思い出した。こんなところでなにしてたんだと急に自分が馬鹿らしくなって、そうして会社への憎しみも湧いてきた。私は仕事を辞めることを決意して、それから数日後、震える手で会社へ電話をかけた。辞めるのはとても簡単だった。きっと辞める人間が後を絶たないのだろう。去る者追わず、といった姿勢で、辞めると決まった途端、その日だけは妙に全員優しかった。

辞めてしばらくすると故郷から家族が遊びにきてくれた。飛行機のチケットを取ったときにはまだ私が退職を決める前だったから、都会で心機一転働く息子を労うつもりで会いにきてくれるはずが、あっというまに職を失い、完全に行き場の見えなくなった息子の待つ東京へ会いに来るのはよい気分ではなかっただろう。しかし両親は辞めたことを咎めたりはしなかった。そんな会社、辞めて正解だったと言ってくれた。だめになったらいつでも帰ってくればいい、お前には逃げる場所があるんだから、といつになく優しく言ってくれた。まだまだ、こんなもんじゃ終わらないよ、今に見てろ。私はやれるところまでやるつもりだった。全て投げ出してここまで来たんだ、怖いものなんてなにもない。気丈に両親を見送ってやった。

 

もう一年も経つんだということに驚きを隠せない。あの町で最後に食べた蕎麦の味や、荷積みしたトラックで夜明けの道をひとり走ったこと、かじかんだ手と白い月。寒くなってくると冬の匂いに乗せられてあのときの感覚が少しだけよみがえる。思い出したくもないし、前は思い出すたびゾッとして、言い知れぬ恐怖にのたうちまわったりしていたけれど、一年が経ってようやく、落ち着いて振り返ることができるようになった。苦しみに固められた日々を、時間の流れが少しずつ風解してくれたようだ。

今の仕事は前の半分くらいの給料しかもらえない。だが日ののぼった時間に明るい道を歩いて通勤することができるし、椅子に座って昼ごはんを食べることができる。眠気や疲労とは相変わらず闘っているけれど、身体を痛めつけながら働くなんてことはない。前の仕事の給料がよかったのは、健康や寿命を削り取って差し出していたからにほかならない。私のもっとも貴ぶ若さというものを、全部ないがしろにして、踏みつけて、ぐちゃぐちゃにした焼け野原にあぐらをかいてスーパーの半額弁当を食べていたのがあの頃だった。行き先の違う急行電車に乗り込んで、降りるタイミングを失ってしまっていた。あのまま乗り続けていたら、どこへたどり着いていただろう。ロールサインには、地獄の文字が見える。

私は長らく不幸というものを味わっていない。もう、慣れきってしまったのだ。不幸を味わう舌が馬鹿になってしまったのだ。決して帰りたい日々ではないが、あの日々がなければ今の私もなかったのだと思うと、複雑な気分である。だがそれも、うまいビールを飲むための一仕事みたいなものだと思えば、人生にはそういう時期が不必要とは言い切れなくなるものである。

もう、なにもかも、思い出に変わってしまったんだから、だったら、あれこれ悩むことはない。今さえ確かなら、それでいい。それに、歪みや不幸をたくさん詰め込んだ人生の方が、かえって煌びやかだ、そんな気がする。