或るロリータ

A Certain Lolita

一年が終わるたび、思い出す人がいる

年末年始の雰囲気がとても好き。学生は一足先に冬休みに入って、大人は気ぜわしく仕事を畳みにかかり、みんなどことなく浮き足立った、あの数日間が。クリスマスのロマンチックな雰囲気から、一気に年の瀬へ駆けてゆく感じ。テレビ番組はとにかく毎年おんなじように華やいで、朝っぱらから日本酒飲んだりして。人がみんなぐうたらになるような、だけどそれが許されるような、甘くてゆるいひとときが好き。

子供のころは雪の降らない街に住んでいたから、珍しく雪が降ると嬉しかったっけ。積もることはなかったけれど。朝起きて二階の窓から、向かいの家の屋根が白いドレスを羽織っていると、私は陽気に家を飛び出すのだ。あたりは静まり返っている。いるはずの人たちが誰もいない公園は、淋しい私だけの王国。すると、近所の友達も同じように分厚いコートで現れて。こんなことしてんの俺たちだけだなって、かっこつけながらやさぐれて、それが楽しくて、かき集めて作った雪だるまは茶色かった。不恰好に公園の入り口に置き去りにして、今度はストーブを焚いた部屋に入る。砂糖醤油をつけた餅を食べながらトランプをする。妹はクリスマスプレゼントの人形を抱きかかえて指をくわえて眠っている。

そんな古いページをふと思い出して、たまらなく切なくなる。あいつは今どうしているだろうか。東京に出てきて何度か会ったきり、やがて連絡が途絶えてしまった。今年くらいは、久しぶりに会いたかった。私は元気にやっている、そう伝えたかった。ただ、それだけなのに、あの頃私たちの世界のすべてだった風の便りは、今や背の高いビルにさえぎられて、どこへも届かない。小さなアパートの一室からしたためた手紙には、出す宛てもない。

もしもどこかでばったりと、年老いた私たちが出会うことがあったなら、きっとそれは運命だろう。けれど、もう二度と会えないのだとしたら、それもまた運命。別れの数は指折りなのに、出会いの数ばかり増えてゆくなんて、そんなに人生うまくはできていないのだろう。

どうしたって、別れはくる。おまえが元気でやっているなら、私も明日を生きてやる。今日が昨日になって、今年が去年になって、いつか遠い思い出になったとしても、私はどうにか生きてやる。おまえの知らない街で、お前の忘れかけた男が、ときどきおまえを思い出しながら、こんな文章を書いていることを知るはずもなく、おまえも元気に生きていてくれ。