或るロリータ

A Certain Lolita

歯医者は誠実な男のためのキャバクラである

私は人生で三度、キャバクラに行ったことがある。一度目は前に働いていた会社の忘年会のあとに連れて行かれた時。二度目は卒業後に会った高校の同級生(在学中は一度も遊んだことはなかった。しかも彼は酒が飲めない)の誘いを断りきれずについて行った時。三度目は先月参加したオフ会でおっぱぶに入ったつもりがただのキャバクラだった時だ。そのどれも、私にとっては思い出したら笑みのこぼれるような甘い記憶などではない。私はキャバクラを楽しめない人間なのだ。

私がキャバクラを楽しめない最大の理由はやっぱりお金がないからである。キャバクラに行ったことのある人はもちろんだが、行ったことのない人でも、キャバクラの料金設定がバカ高いことくらいはご存知だろう。安い居酒屋で少しの酒を飲んで、ハシゴすることすら滅多にないこの私が、キャバクラなどに使うお金があるだろうか。いや、ない。

確かに、人恋しくなる夜があるのは認めよう。男同士で飲んでばかりいると、華が欠けていることに気がつくのも仕方がない。だったらそんなときは、私はスナックをお勧めしたい。3000円前後で飲み放題、水割りと乾き物に、愚痴を聞いてくれる優しいママがいる。カラオケだって歌えるのだ。

話し相手が欲しければスナックへ行けばいいし、エッチなことがしたいならそういう店へ行けばいい。もちろん、お客さんを楽しませるために努力しているキャバクラ嬢の方が沢山いるのも知っている。私も以前、太宰治が好きだという文学部出身の女の子が隣に座ってテンションが上がったことがあるくらいだし。ただ、これは私がまだ青すぎるのか、あるいは貧乏性がそうさせているのか知らないが、「このあとどうする?」という時に、これまでの人生の中で自らキャバクラを選択する場面に出くわしたことがないのだ。そうしてこれからもきっとないだろう。何故なら私にとってのキャバクラは、もっと身近なところにあるからだ。

 

こんな記事を読んだ。

amazu81.hatenadiary.jp

私も地元にいるあいだ、歯医者に通っていた。上京してからは一度も行ってないが、キャバクラよりむしろ歯医者に行きたくて気持ちが疼いてしまうことがある。 

あの独特のにおいや、清潔感の充満した部屋がたまらなく好きだからだ。なにより仰向けになって口を開き、すべてをお姉さんに任せてしまうところに、キャバクラよりずっと高度なプレイをしている錯覚を覚える。口の中を触られて思わずびくっとしたり、唾が溜まって苦しくなったり、痛みに悶えることもある。自分では抗えない感じが最高なのだ。

私はどうにも公的な場所の中にしかエロティシズムを感じられない人間みたいだ。作り物と判っていたり、何もかも思うがままになってしまった状況なんかには、ちっとも価値が感じられないのだ。青年誌のまぐわいより少年誌のお色気シーンの方が興奮するのとおんなじだ。AVより地上波のパンチラだ。

その上歯医者ときたらキャバクラなんかよりずっと安い金額で済んでしまう。なんてったって保険が効くのだ。財布にも優しいし、堂々と通うこともできる。ついでに虫歯も治る。

ただ、歯医者には誰にでも通える権利があるわけではない。よくよく考えたら歯医者は歯を治療する場所であるからだ。私は健康しか取り柄がない人間だったから、中学生あたりから長らく歯医者に縁がなかった。だが、社会人になって、親知らずを抜くことがあって、そこから近所の歯医者へ通うようになった。すべての治療が済んだあとも、三ヶ月に一度定期健診に訪れた。決まって日曜日の午前中だったが、その日はいつもよそ行きの服を着て家を出た。

だから、上京するとき、淋しくてならなかった。馬鹿な私は、三ヶ月に一度、歯医者のためだけに帰省しようとさえ思っていた。けれど、いざ上京してみると、そんな夢物語はひとつだって叶えることができず、計画なんてみんな白紙に戻っちゃって、理想はみんな理想のままで消えていった。

もしもいつか故郷に帰ることがあって、そのとき私が少しお金持ちになっていたとしても、きっとあの歯医者にはもうお気に入りのあの娘はいないだろう。そう思うと急に、私はキャバクラに通いつめる人の気持ちが少しだけ理解できるような気がしてくる。彼らも私も、きっと通いつめることでしか、関係を繋ぎとめておく方法がないのだろう。それも、極めて脆い関係だ。点をたくさん並べて、線に見えたふりをしているだけの、儚い関係だ。いつ途切れてもおかしくない。運命の相手でない女性との関係なんて、きっと全部、そんなものだ。

 

 

最後の定期健診に行った後に書いたもの。

note.mu