或るロリータ

A Certain Lolita

人間を辞めた夜

人はどうして真夜中になると食欲が急激に湧いてくるのだろう。

人はどうして酔っ払うと幾らでも食べられるような気がしてくるのだろう。

つまり夜更けまでお酒を飲んでいる状態というのは、もっとも不健康でもっとも自堕落で、断罪されるべき悪徳にちがいない。

「週末だしまあいいか」

きっとそんな理論が労働者の一週間を清算してくれるものだ。誰しも夜に溶けてしまいたい日があるものだ。けれども私は華のニート。自由の象徴と崇められし脆く儚い存在である。私のような存在など、偉大なる神の意志によって一瞬で吹き飛んでしまうのだ(主に年金や国民健康保険の支払い通知によって)。

つまり私は自堕落に溺れる権利など持ち合わせていない人間である。人の意志とは弱いもの。本能に逆らうことなど、そこいらのニートにできるはずもない。できていたら今頃ニートであるはずがないからだ。

だから私は夜遅くまでお酒を飲むことを辞めなければならないし、そもそも夜更かしをすることを辞めなければならない。ではどうすれば夜更かしを辞められるのだろう、と考えると、やはりとっとと布団に入ってしまうのが賢明なことではあるのだけれど、近頃の私はおそろしく寝つきが悪い。ひどい日には空が白んでくるまで布団の中であらゆる不安に押し潰されそうになり、まどろめば悪夢に襲われる。早寝早起きなどできそうもなかった。そうして無理矢理朝早く起き出して、一日じゅうぼうっとしてろくに活動もできず、「今日一日の辛抱だ」と自分に言い聞かせながらようやく夜。しかし何故か眠れないのだ。そんな日がもうずっと続いている。もう人間を辞めろと言われているような気がしてしまう。

そんなに苦しむくらいなら、いっそお酒を飲んでしまおう。

そう思ったのが運の尽きだった。始めは寝る前に一杯、ほんの睡眠導入剤のつもりで飲んでいたものが、いつしか愛猫のように片手を離れぬショットグラス。みるみるうちに減ってゆくウイスキー。さらに人は、お酒を飲みながら日付を跨ぐと無性にジャンクフードが食べたくなる生き物らしく、普段行かないマクドナルドへ、何故だか夜風を切って走り出したくなるのだ。

田舎にいた頃は、せいぜい戸棚のお菓子やらカップラーメンやらを漁るくらいで済んでいた。しかし都会とは人を甘やかしながら堕としてゆくつめたい場所であり、寝巻き姿に少し上着を羽織れば、ほんの五分も歩かずにそこいらのコンビニへ駆け込むことができるから、私のような欲望に弱い人間はもうどうしようもなくなってしまう。ああどうか私を止めてくれ、そう願いながらもレジの横ではポテトやら唐揚げやらがうまそうに陽灼けしているのだ。

食べても食べても、まだ食べられるような気がするから真夜中はおそろしい。これは脳の錯覚なんだと、身体の誤作動なんだと、判っているつもりなんだけれど判っていない。口に運びながら、すでに後悔は始まっているというのに、それでも私は箸を持つ手を止めない。グラスを掴む手を止めない。胃袋をめちゃめちゃに痛めつけて、ようやく一息ついたら、もう、死にたくなる。またやっちまった。本当に死んでやろうとベランダに出る。酔い醒ましの風が首筋を冷やす。畜生、都会の夜はなんて奇麗なんだ。明日こそ、明日こそは、真人間になってやる。 

 

夜な夜な夜な

夜な夜な夜な

 

 自己嫌悪で忙しい夜に聴いている曲。