或るロリータ

A Certain Lolita

初任給が出たらまず何に使うべきか

死が間近に感じられるほど生活に困窮していたニート生活も終わり、何食わぬ顔で通勤電車に乗る毎日もすっかり板についてきた。とはいえまだ初任給をもらうまでには一ヶ月の日月を要する。カード払いで負債を先送りにしつつどうにか毎日を凌いではいるけれど、早く一度目の給料を頂戴して心温めたいのは言うまでもない。当分この貧乏生活が続いてゆくことは間違いないのだが、それでもようやく手にはいる僅かながらの報酬を、これから先どのようにして蓄え、どのようにして使っていけばよいものかと考えたりする。浪費は決して悪だとは思わない。ただ、それが無駄遣いかどうかは各々異なってくるものである。私にとって最も適切な給料の使い途とは一体なんなのだろうか。愚かなる散財に悔恨を募らせる前に、今本当に欲しいもの、必要なものを先に確認してみることにする。

 

自転車

田舎育ちの私には、自転車など高校を卒業してから数えるほどしか乗ることがなかったんだけれど、都会にくると自転車が欲しくてたまらなくなった。田舎にいた頃は買い物に出かけても、店から駐車場までの少しの距離しか歩かなくて済んだのに、今では買い物をしたら家まで荷物を持って歩かなければならない。だからまとめ買いがなかなか出来ないのだ。冬の夜などお腹を空かせて歩く帰り道は、本当に心細く耐えがたい。自転車があればどんなに楽だろうと、周りの自転車乗りたちが過ぎるのを指をくわえて見ているばかりだ。

今、手に入ったらもっとも生活効率が上がるものといえば、間違いなく自転車だろう。

 

デスク

作業机が欲しい。ブログを書いたり写真の整理をしたり、持ち帰った仕事でもパソコンを使うことが多く、要するに家にいる時間の大半をパソコンの前で過ごしている私だが、今は小さな食卓の上にパソコンを置いて使っている。それだけでテーブルはもう半分ほど埋まってしまう。ご飯を食べるたびにパソコンをずらしたりするのは手間がかかるし、第一床に座って長時間作業をしていると腰が痛くなってくる。せめて安いものでいいから椅子と机が欲しい。書類なんかが床に散らばっているのを見るとやりきれない気持ちになってしまう。その前に広い家に引っ越さないと、現段階では机を置く場所などないのだけれど。ちなみに今まで使った机の中でいちばん作業が捗ったのは学校机である。

 

CD

最近めっきり音楽を聴く時間が減ってしまった。通勤時間は短いし、いちいちイヤホンを付け外しするのも億劫なのだ。家にいる間は常にテレビを観ている上に、テレビを消して寝る前はいつも睡眠のアプリから流れる雨の音を聴いている。となると、黙って音楽だけに耳を傾ける時間というのが殊更になくなってしまうことはやむをえない。

しかし欲しいCDはあるわけで、だけどもCDというのは貧乏人にとってはおそろしく高いものだ。ネットでミュージックビデオなどが公式に無料配信される時代だ。CDを買うという行為は、好きなアーティストへの投資行為と化している。「この歌手にはお金を払いたい」そう思える出逢いがあったとしても、あまりに貧困なゆえ、Amazonの欲しいものリストにその歌手のアルバムを入れたきり、夜毎YouTubeを行ったり来たりするだけというのはあまりに佗しい。

ちなみに私が今欲しいCDの一例。

Ren'dez-vous

Ren'dez-vous

 

朝の光の中で聴くのにうってつけな透き通る手嶌葵さんの声は、私にとっての精神安定剤としていつもポケットのiPhoneに入れて持ち運んでいたんだけれど、最近久しぶりに彼女がドラマの主題歌で話題になってテレビに出ているのを見かけて、すぐにAmazonで検索したら、二年も前に私の持っていなかったアルバムが出ていたことを知った。例に漏れず評価も高く、すぐにカートに入れようとしたが、いやちょっと待て、明日の夕食さえろくに確保できない私が、何をCDなど買って、そのお金があればいくつ夜を越えられるだろう、そう思うとそれ以上注文へ進む気にはなれず、くだんの欲しいものリストへ今、昏睡状態の身なわけである。

 

これは欲しいというより、少しでもお金が余れば買おうと思っている。本を読まないとどんどん心が乾いてゆくのは明白である。私がまだ十代だったころ、本屋へ通うのがいつも楽しみだった。新しい本のすべすべの手触りと紙のにおいが好きだった。最初の一行を読むときがいちばんドキドキした。そうして最後の一行まで、やはりドキドキしっぱなしだった。本を読むということは今も変わらず私にとって重要なことであるにちがいない。忙しさにかまけて買った本にさえ手をつけないでいる私だが、どんなに疲れている時でも、せめて毎日一ページでいいから本を読む習慣をつけたい。かつて私の代名詞であった「文学少年」という言葉は、今はもうまったく別人のことを指しているみたいに他人事に聞こえてしまう。何週間も本を読まないことがざらにある生活の中で、誰が文学好きを名乗れようか。書くこととおなじくらい読むことは大切なことだ。書いているからといって読まずにいると、そのうちきっと書くことしかできない鉛筆のお化けになってしまうだろう。 

すみれの花の砂糖づけ (新潮文庫)

すみれの花の砂糖づけ (新潮文庫)

 

というわけで給料日がきたら一段落として、まずはこの本を買おうと思っている。

 

私は鞄を持っていない。というと語弊があるけれど、持っているのはビジネスバッグとボストンバッグと小さなショルダーバッグである。仕事に行くぶんにはまったく困ることはない。しかし遊びに行くときに、元来、鞄を持たない主義だった私は、今やカメラもあればノートや長財布、薬の類も常に携えておきたいと思いながら、それにふさわしい鞄を果たして持ち合わせていないのだ。ビジネスバッグは勝手がいいが、プライベートの場において、そんな堅苦しい鞄を持って現れたなら、相手方に息の詰まる思いをさせることが懸念される。ボストンバッグは旅行用に買ったもので大袈裟過ぎて話にならないし、ショルダーバッグは少しばかり収納力に不安がある。さしあたり手頃な鞄をひとつ購入し、プライベートの時間をもう少し快適に過ごしたいと思ってはいるのだが、結局鞄のような「なくてもすぐに困るわけではない」ものは、後回しにしてしまうのが関の山である。

 

フロム・ザ・バレル

何を隠そうウイスキーである。貧乏人が酒を求めるなど大衆に背を向けるような行為であることは承知しているが、来月、再来月、いや、すぐにとは言わずとも、そのうち少しのへそくりでも出来たなら、かねがね飲んでみたいと思っていたネット上で大評判のこの銘柄を、どうか一本購入したいという願いが私を労働へ向かわせている。うまいのかうまくないのかといえば、うまいことは間違いない。なぜなら私はどんな酒を飲んでもうまく感じる都合のよい舌を持っているからだ。かといって、何を飲んでも同じかといえばそうではない。うまい酒はよりうまく感じるにちがいない。

フロム・ザ・バレル 500ml

フロム・ザ・バレル 500ml

 

 

と、これだけつらつら挙げてみると、労働意欲が湧いてくるかと思いきや、実際の給料というものは、生活費やら保険の支払いやらで痛々しく削られてゆくものだから、この中のどれかひとつを手にするのさえ危ういほど、まだ私の未来は澄み切っているわけではない。とすると、私に残された数少ない手段といえば、たとえばAmazonの欲しいものリストを公開して、偶然宝くじが当たってお金の使い途に困っている方が、哀れみの心からひとりの貧乏人にお恵みをくださることを祈るという他力本願なやり方くらいであろう。