或るロリータ

A Certain Lolita

いつしか私の前に立ちはだかっていた労働の壁が消えた

大人になるにつれて、自由でない時間のすべてが嫌いになった。小学生のころは苦手な水泳と跳び箱の授業がある日以外はそれなりに楽しく通っていたし、中学校のときは国語と社会とパソコンの授業がある日だけは何が何でも眠い目をこすって通っていたし、高校では唯一大好きだった国語の先生と逢える日だけはくじけずに孤独な教室の中で前を向いていた。

それなのに就職してから、私は家から出るという行為を伴うすべてのことが嫌いになった。毎日同じ時間に出社して、同じ場所を掃除して、変わり映えのない朝礼を受けて、いつもの席に着く。私はそこにいるあいだ自分がどんどん衰えていくような気がしていた。青春から遠ざかりながら、でもなぜか堂々と大人とは呼べないどこか道の逸れた方向へと歩んでいるような気がしていた。

その頃も今と同じく薄給で、周りの友達と飲みに行く度私だけ痩せた財布を持っているのが少しみじめに思えた。それでも辞めずにいられたのは、その仕事が私の午後五時以降には介入してこない仕事だったからだ。悲鳴をあげるほどの肉体労働も、思い詰めるほどの上司からの叱責もなく、まるで早すぎる隠居生活のように私は時の流れに風解されていった。

仕事を辞めると告げた日の夜は、「ついに言っちゃった」と気が気でなく眠れなかったが、同時に思い切りひねったシャワーのように自由というやつが降り注いできた。それは私の髪の毛から爪先までをいっぺんに濡らして戸惑わせた。あんなに欲しかった自由が、こんなにあっけなく手に入るなんて……。私は優雅で自堕落で、新鮮な毎日を過ごした。

上京するにあたって新しい仕事が決まったことは、生活の不安を当面は取り除いてくれたけれど、同時にまた私から自由をうばった。残り少ない故郷での日々に、いつしか頭の片隅で労働という不気味な炎が再燃して、楽しいはずの時間が楽しくなくなってしまったのだ。私はもう、労働そのものが向いていない人間なんじゃないかしら、とまだ始めてもいない仕事に対して漠然とした不安を抱えるのであった。

やがて上京して仕事が始まり、それからの日々は私の身体の節々を軋ませた。あのころ恐れていた衰えていくという感情がそこにはまったくなく、ただあるのは一秒でも早くこの苦痛から解放されたいという労働への憎しみと恐怖。退屈な仕事というのがどんなに幸福なことだっただろう、そう私は思った。成長と健康、どちらが人間にとって優先されるべきかなんて、考えるまでもなく判ることだ。

そうして二度目の退職をして、やはり私は自由になった。もう、働くのやめちまおうかな、なんて思ったこともあったけれど、たったふたつの会社でうまく行かなかったからと言って、労働そのものが自分に向いてないだなんてあきらめるのは早すぎる。理想を追い求めながら収穫のないハロワへ通う日々が続いた。

結局選ぶべきは「給料が安くて楽な仕事」か「高収入できつい仕事」のどちらかに分類されたが、私はせめて趣味の時間をとれる前者を選ぶことにした。後者の苦しみがどれほどのものか、一度目の転職で痛いほど思い知ったからだ。それでも理想の求人はなかなか見つかるものではなかった。

そうして縁あって今の会社に拾われて、私は心から労働というものを見つめ直すことができた。せめてもと妥協していた「給料が安くて楽な仕事」よりさらに上の、この世にそんなものあるはずないと思っていた「楽しい仕事」に今自分が就いていることに気づいたのだ。確かに給料は安いけれど、一秒でも早く帰りたいと思わない仕事があるなんて不思議だった。かといって人一倍早く出勤するわけではない。けれど家にいるあいだも、ふと仕事のことを考えていたりする。それでいて苦痛じゃない。どんなに仕事への思考が日常生活にまで介入しようと、それがいっさい無駄だとは感じないし、幽かに幸福のにおいさえする。

こんなことを書いているとまるで怪しい宗教にのめりこんだ胡散臭い人間のように思われるかもしれないが、それでも構わない。私はただ結果的に今の私がいることで、苦しかった過去もここに辿り着くまでの道程だと思って肯定することができるのが、なにより素晴らしいことだと思うだけなのだ。

苦しい時期は誰にだってあるはずだけれど、それが一週間だか一年だか、もしかしたら十年かもしれないけれど、その先で報われることがあるのなら、苦しいあいだの時期は決して無駄ではない。苦しみがあってこそ今があるのだ。もちろん、苦しまずに済むならそれに越したことはない。だけど私は今のところ、苦しんでは安らいでの繰り返しで人生が過ぎてきたものだから、おのずと未来というものは過去を煌めかせるためにあるものだと信じてしまうのだ。

明日が怖くない夜があるなんて、私はこれまで知らなかった。