或るロリータ

A Certain Lolita

思い出がお酒の味を変える夜

金曜日が好きだ。それは今でも変わりない。学校が嫌いで仕方なかった中学生のころから今日に至るまで、私は金曜日のために生きてきたといっても過言ではない。金曜日という黄金色の甘い時間のために、どんな辛い毎日にだって耐えるのだ。いつか、金曜日がくる。そのことだけが救いだった。

ひとつ前の仕事は、曜日にかかわりのなく出勤の必要がある職場だった。クリスマスもお正月も、存在しないようなものだった。その環境は私の中に作り上げられていた金曜日至上主義をいとも簡単に壊してしまった。今日は金曜日か、みんな羽を伸ばして飲みに行ったりするんだろうな、そんな風に世間を眺めるだけ。思えばあれは時間と健康とが無慈悲に賃金と直結させられる人の道を外れた環境だった。もちろんそういう仕事を誇りに続ける人たちを否定するつもりはない。ただ私には少し、合わなかったというだけだ。

今の仕事は土日が休みである。元どおり私は金曜日が好きになった。さらによいことに、金曜日への執着は少し薄らいだ。時計とにらめっこして、定時を迎えたらそそくさと荷物をまとめる仕事ではない。金曜日こそむしろ、少しくらい残った仕事を片付けてから帰るのもいいか、と思えるようになったのだ。いかにも都会的で大人びていて、本当はそんな風に仕事というものとうまく付き合える日が来てしまったのはどこか淋しくもあるけれど。

今日の帰り道。ここのところ続いている雨のせいで、傘を持つ手は疲れたし、気に入りの革靴もとうぶん履けそうにない。夜道の楽しみは水たまりに反射する街の灯りを宝石のように目でひろいながら帰ることくらいしかなくなっていた。職場の最寄りの駅から各駅停車に乗り、歯抜けのように空いている座席に腰を下ろす。ぼんやり窓の外を眺めながら、適当な音楽を聴く。

やがて終点についた。そこが私の住む街だ。せわしない構内。学生風、サラリーマン風、主婦、老人、子供、また学生……。尽きることのない人波にぶつからないよう歩きながら、駅の外へ出る。傘をさすほどでもない雨に撫でつけられるように、地上へつづくコンコースを横切る。そのとき、薄闇のしめったベンチでひとり腰掛けてスーパーの弁当を食べている青年を見た。私と同じくらいか、少し年下だろうか。うつむいてひたすら箸を動かしている。彼の足元には窪んだアスファルトに薄く張った水たまり。映る月もなく真っ黒によどんでいる。

彼の姿はとても淋しげだった。だけどそのせいばかりではない。私は記憶の奥深くにうずめたはずの苦い思い出を、否応なしに掘採させられた。ひとり住まいの狭い社員寮。さびれた街。電灯のまばらな帰り道。汚れた仕事着に、痛む肉体。足をひきずるように小さな駅から這い出て、駅前のスーパーに立ち寄る。初めての一人暮らしに意気込んで買い揃えた調理道具も、ほとんど用をなしていなかった。時間と気力と体力と、あらゆるものが私の生活から抜け落ちていた。スーパーで半額の弁当を買うのにさえ、朦朧とした意識の中では精一杯なのだった。

食の細かった私が、いくらでも食べられると思うくらい、疲弊は脳髄にまで達していた。半額の弁当に、半額の菓子パンをいくつか、さらには半額の惣菜の揚げ物まで籠に加え、最後に安い発泡酒を放る。そうして駅から少し離れた住まいまで戻るとき、私はいつもここで夜に磔にされてしまいたいと思った。永遠に朝がこなければいいと思った。出口の見えないトンネルを、休む間も無くひたすら重いトロッコ漕いで、目から飛び散る火花と、黒煙のようなため息。私は我慢できずによくスーパーを出るとすぐに発泡酒の缶を開けた。ぐびぐびと飲みながら帰った。それまで気がつかなかったが、都会にはよくそういうおじさんがいる。彼らもきっと私と同じような思いをしているのだろう。

今日、駅のコンコースのベンチで弁当を食べる青年を見て、いいや、彼は急いでいただけで、何もみじめな思いなどしていないのかもしれない。それでも私は、ふいにあの夜の自分を重ねないではいられなかった。世界のどこにも自分の横たわれるベッドがないような、そんな気持ち。唯一の癒しは、我を忘れるためのアルコール。いけないことだと知りつつも、それだけは無差別に私をだめにしてくれた。今でもお酒に癒されたい夜はある。そんなとき、あの苦い思い出という肴を噛みしめながら酒を含むと、今というなんでもない日常から、幸福の香りがはっきりと立ち上ってくるのが感じられる。

 

今週のお題「私の癒やし」