或るロリータ

A Certain Lolita

そうして私は書けなくなった

文章を書くのが好きだった。それに気がついたのは中学二年生の頃。それまで私は周りのクラスメイトと比べても文章が特別に上手いわけではなかったし、私より整理された思考を持ち、私より美しい表現ができる人は幾らでもいた。決して「文章が上手い人」と尋ねられたときに、クラスで真っ先に名前が挙がるような対象ではなかったのだ。

中学二年生になるまで、私は清く、健やかに生きることに何の疑いも持たなかった。みんなと同じように学校の勉強をこなし、本を読み、友人と遊び、恋もする。およそ少年として与えられる課題を日々まっとうした。努力さえすれば叶わないことなどないと思っていたし、事実、目の前に現れる課題のほとんどは、努力によって結実する類いのものであった。

ところが少年の私は気づいてしまう。このまま当たり前に生きていった先に、一体何があるのだろうか、と。明確な夢も、秀でた才能も見受けられなかった私に、親は決まり文句のように公務員になることを薦めた。誰もが今日を生きるために暮らしている片田舎の町では、それが最善の答えになるのは不思議ではない。私にとって、それはつまらない未来に思えた。きっと正しい答えであるが故に。

 

当たり前の幸福に向かって掬い上げられた神様の掌からこぼれ落ちたのが、ちょうどそんな時期だった。私は学業でつまずき、運動でもおくれをとった。今まで張り合ってきたクラスメイトたちの背中が、いっぺんに遠く見えた。彼らが上手いこと大人になろうとしている傍で、私の背丈だけが、ちっとも伸びなかった。

原因の多くは漫画などの娯楽に時間を費やすようになった点にあるだろう。それは勉強よりも運動よりも、ずっと面白かった。もはや、クラスメイトに置いて行かれてしまうことなんて、どうでもよくなるくらいに。私は道を踏み外したことを開き直り、周りの連中を没個性だと憐れむことにした。もちろん、自分を守るためだ。

日記ブログを始め、煩悶はそこへ綴った。共感してくれるブログ仲間もいた。なんと心地よい世界だろう。私は逃げ込む場所をつくることに成功したのだ。そうなると、いよいよ現実世界との乖離は激しくなる。もはやまともに進むことを放棄し、友人たちに遠く置いて行かれた地上のレールの下で、自分だけの地下鉄をゆっくりと走らせることにした。その先に何があるかは分からなかったけれど、当時の私は、そうするほかに生きる術を見つけられなかったのだ。

日記ブログに書き込む内容は、本当にくだらないことばかりだった。後年、怖いもの見たさで読み返してみると、あまりのつまらなさに絶望したのを覚えている。分かりやすくいうならば「思いました。」や「楽しかったです。」などひたすら単調な文章に終始する学校の作文と大差ないのだ。誰がそんなものを好んで読みたいだろうか。読み手を楽しませようという意識は、そこに微塵もなかった。だからこそ、純粋に想いを吐き出せたのかもしれないが。

 

中学三年生になると、担任が変わった。気の優しい、スレンダーな女の先生になった。宿題の中には、毎日三行ほどの日記を書いて出す欄があったのだが、それまでただ事務的に行を埋めることだけを考えていた私が、この先生なら、と興味本位でありのまま思ったことをそこに綴って出したことがある。すると、素直にその内容に対する返信がきた。拍子抜けした気持ちだった。型にはまる必要なんてなかったのだ。型にはまって生きなければならないと思い込んでいたのは、私自身だったのだ。

それから毎日の日記が楽しみになった。家族の思い出、学校への不満、政治や社会問題への所感。何もない日には、素直に何もないと書いた。その全てに、先生はいつもの調子で返事を寄越してくれた。ブログで顔も知らぬ友人に頷いてもらうのもいいけれど、やはり現実世界に理解者がいることは、それ以上に心強い。そのうちに、私は自分の思いを上手に伝えることはできないかと考えるようになる。そのためには、もう少し表現する力が必要だと思った。そしてあわよくば、先生を楽しませるような文章が書きたい、と。これが、読み手を意識するようになったきっかけである。

私は私の想いを二の次に、いかにして他者からの評価を得られる文章を書けるかに尽力した。もちろんその評価とは、学校の通知表の数字ではない。読んだ人からもらえる、面白かったという感想である。他者に評価を委ねるのが健全かどうかは分からないが、少なくとも娯楽に耽るばかりだった私の、唯一の原動力になっていたことは確かだ。中学校を卒業してから、その表現の場は主に親しい友人へのメールに移った。携帯電話を手に入れた私は、毎晩のように友人に長ったらしいメールを一方的に送りつけたのだ。それは時に小説であったり、時に時事問題に対する議論であったりした。今思えば迷惑な話だが、律儀に付き合ってくれた友人には感謝したい。

 

さて、時を経て私はネット上に文章を書き込むことを主な活動の場に変えた。始めはツイッターにわけのわからぬポエムを投下して満足していたのだが、やがてそれだけでは飽き足らず、大層にこんなブログまで開設してしまった。開設したはいいものの、ちゃんと書ける場所ができてしまうと、人は急に身構えるものだ。それでも、振り返ってみればもう5年も経ってしまった。5年間、毒にも薬にもならないようなことを気まぐれに綴りたおして、年号は2020へと変わった。

前回の記事が、もう半年も前だ。あんなに文章を書くことが好きだった私は、どこへ行ってしまったのか。忙しかったというのはもちろんある。ただ、それ以上に私は文章を書くことが少し怖くなってしまっていたのかもしれない。その質にかかわらず、恥ずかしげもなく想いを吐露できることだけが私の褒められるべき点だったはずなのに、私はこの頃、目に見えない誰かからの視線がすごく怖いのだ。偶然にも私のことを知り、今、こうしてこの文章を読んでいるあなたが、今にも私のことを見放してしまうのが、たまらなく怖いのだ。そうなるくらいなら、そういえばそんな人いたねって、ときどき思い出されるくらいの、ひょっとしたら惜しまれるくらいの、そんな存在になってしまった方がずっと楽なんじゃないかって、そう思ってしまうのだ。

けれども私は性懲りもなく、またこうして文章を書いている。決して何か伝えたいことがあるわけでもないのに。書いていて、思い出した。あの頃、宿題の日記に、毎日思うままに書き連ねていたこと。書くことがないときには、書くことがないと正直に書けばよいということ。先生は、それすらも許してくれた。それが、私をここまで導いてくれたのだ。だったら何も、おそれることはない。私はただ、書きたいから書けばよかったのだ。この世のすべての人々のためではなく、目の前のたったひとりのために。

 

今週のお題「2020年の抱負」