或るロリータ

A Certain Lolita

東京に染まれなかった

東京は良い街だ。いや、正確にいえばとても便利で、平等で、たくさんの可能性がある街、だろうか。職も、娯楽も、人との出会いも、私の生まれた田舎町なんて、質も量も比べる対象にすらならない。それくらい、東京になくて田舎にあるものなど、ほとんどないといってもいい。

東京に来て数年間は、出かけるたびに色んな街を歩いた。どんな名も知らぬ駅でも、商店街には田舎にはない活気があったし、一駅移動するだけでがらりと表情が変わるのも、東京の面白いところだった。そして何より、東京の夜は明るかった。狭くても、古くても、賑わっている店ばかりだったし、行けども行けどもそこには人がいて、目に見えない無数の人と人の繋がりが張り巡らされていた。

東京に来てから出会った人と酒を飲むのもそれなりに楽しかったし、知らない話もたくさん聞けた。仕事のためにジャケットを羽織って地下鉄に乗ったとき、窓ガラスに映る自分の姿は、意外にも、都会に馴染んで、それなりにうまくやっているように見えた。

けれど、それだけだった。確かにそこそこの幸せを手に入れて、うまくやっていくためには、東京は最適なのかもしれない。田舎に比べると選べる仕事の種類も、もらえる給料も多いし、行ける場所や楽しめる娯楽の選択肢も数えきれない。でも、そこにみずみずしい喜びはなくて、手に入るのは、綺麗に加工された缶詰のような幸福だけ。東京には、「誰のものにもなっていない場所」がないのだ。

 

田舎に住んでいた頃、私が特に愛した場所の数々は、そのどれもが名前のない場所だった。たとえば近所にあった蛍の舞う神社の石段も、菜の花の咲き乱れる土手沿いの通学路も、学校帰りに読書をしていた沢のほとりも、どこにでも車を止められるだだっ広い海辺の公園も、私は名前を知らない。正確には、国や持ち主が定めた何らかの名称はあるのだろうが、ネットで調べても観光スポットとして紹介されているわけではないし、第一、地元の人にとっては気にも留めないようなありふれた風景だ。

だからあの街では、それらの場所の魅力に気づいた人間だけが独り占めすることができた。

東京では、どんなに駅から離れた隠れ家的な古い酒場を見つけても、穴場としてレビューサイトやブログで紹介されているし、いい感じの路地裏を見つけて嬉々として写真に収めても、大抵、同じ構図で撮られた写真がネットで見つかってしまう。東京で、自分だけが知っている場所なんて、見つけることはできないのだ。

誰かにその価値を担保されたものを安心して享受するよりも、おそるおそる見つけた知らない世界を自分ひとりが密かに愛することが喜びだった私には、東京の街は、少しやさしすぎたみたいだ。

 

コロナ禍になると、私はすっかり背伸びをやめた。都心からは足が遠のいて、酒場やギャラリー、小さなライブハウスに訪れることもなくなった。そうして家に籠ってばかりいると、東京に住んでいることの意味が、ほんとうにわからなくなる。

唯一、部屋の窓から見える景色だけは、どこか実家の雰囲気に似ていたから、大きめの公園の緑を故郷の自然のように空想して、自分を騙しながら毎日をしのいだ。テレビでは田舎を旅する番組ばかり観ているし、部屋には植物が増えつづけている。でも、大好きなアニメのビデオテープを擦り切れるまで観ていた子どもの頃みたいに、同じような思い出ばかりをかき集めて、東京の片隅で田舎ごっこをして生きることに、果たして意味はあるのだろうか。ふいにそんな不安に襲われる。

地元に残った友人や、郊外で暮らしている友人、あるいは地方移住した人の話なんかを見聞きすると、「何にもないところだけどね」という自嘲ぎみの言葉のあとに、「でも住みやすくて幸せです」という言葉を隠しているように感じてしまう。なぜなら彼らの表情には一様に翳りがなくて、すごろくで早上がりした勝者のように清々しい面持ちをしているからだ。その「何にもないところ」で育った私が言うのだから、単なる思い込みではないだろう。

 

私はもう、疲れてしまったみたいだ。ただ、すぐに東京を出ることもできず、徐々に自らがすり減ってゆくのを感じている。

この街はこの街でそれなりに好きではあるが、かつて愛していた故郷の記憶と、周囲のまぶしい声にどうしても心が乱れてしまう。全ての人との関わりを断ち、全ての情報を遮断することができるなら、こんなにも振り回されずに済むのかもしれないが、そこまで修羅にはなれそうもない。だから、今は静かに目をつぶって生きるしかないのだろう。生きていてよかったと思える日がもう一度訪れるまで。いや、生きていくことの意味なんて考えることも忘れてしまうまで。