或るロリータ

A Certain Lolita

2017-01-01から1年間の記事一覧

淋しさがつのりすぎて「孤独」をテーマにした本を作ってしまった

青春時代を通して誰にも負けない唯一のものがあるとすれば、私にとってそれはどこまでも孤独であったということだけだ。恋も、遊びも、勉学も、十代の私には手に負えないものだった。私は誰からも期待されず、また、誰かに期待することもやめた。だから私は…

何かをやり残したと感じる夜にブログを書く

私がブログを書きたくなるのは、きまって後ろ向きな理由からである。仕事が上手くいっているとき、趣味を謳歌するのに忙しいとき、旧友たちと飲み明かしたとき……そんな日の私にはブログを書こうなんて発想はない。そもそもこのブログだって何の理念も目的も…

社会では「すり減らさなかった人」が勝つ

先日、中学校と高校をともに過ごした同級生から電話がかかってきた。内容は、気まぐれな近況報告みたいなものだった。彼とは学校で特別仲がよかったというわけではない。教室にほとんど話せる相手のいない私に対して、彼は成績は悪かったが部活だけはひたす…

思い出がお酒の味を変える夜

金曜日が好きだ。それは今でも変わりない。学校が嫌いで仕方なかった中学生のころから今日に至るまで、私は金曜日のために生きてきたといっても過言ではない。金曜日という黄金色の甘い時間のために、どんな辛い毎日にだって耐えるのだ。いつか、金曜日がく…

故郷から東京へ戻る飛行機で、昼と夜の隙間を見た

今年の夏は、いつにも増してあちこちへ旅に出た。そう言いながら、例年どこかへ出かけている気がするが。 初めて足を踏み入れた四国の地や、水色の瀬戸内海。棚田祭りや風鈴市、ひまわり畑など、夏を象徴するにふさわしいシーンは数え切れないほどあった。お…

「選ばない」という選択をやめた20代前半

私は何かを選んだことがない人間だった。生まれた田舎町でそのまま育ち、親や友達ともそれなりに仲良く、喧嘩をすれば普通に落ち込み、与えられた幸福には素直に喜ぶ少年時代を過ごした。だが、一歩間違えば、私の少年時代はもっと悲惨なものだっただろう。…

棚田に無数の灯りがともる「ホタルかがり火まつり」で素敵な夏のはじまりを

先日、秩父の方で行われた「寺坂棚田ホタルかがり火まつり」なるものへ行ってきた。コンセプトは「棚田を楽しむためのイベント」らしい。こんなに素敵なイベントを今まで知らずに過ごしてきたなんて……と少し悔しい気持ちになりながらも、これは夏開きにぴっ…

初恋が叶わなかったすべての大人に捧ぐ

昔にもどってやり直したい。そんなことばかり考えていた頃があった。まだ世間から見れば青春と呼ばれる季節に身を置いていた頃のことだ。 子供と大人との境目がはっきりと存在しているはずはなくて、人は段階的に大人になってゆくものだと思うけれど、少年時…

オンとオフが切り替えられない人生になってしまった

なんて言うと、大袈裟すぎるだろうか。しかし、近頃の私の悩みといえば、ほぼそれに尽きるといってもいい。中学生以降、私は学校なんて行かなくて済むなら行きたくないと思うたぐいの人間だった。部活も勉強も、趣味でさえ、一筋で打ち込むということを知ら…

古道具店で見つけた中身の読めない「マスク本」にワクワクする

三鷹の小古道具店「四歩」をご存知だろうか。駅前の大通りを少し歩いて、ふと路地裏へ折れたところで、ひっそりと店を構えている。小さな店で、目立つ看板もない。しかし、店先まで行くとその異様な雰囲気に圧倒されてしまう。「この店には何かあるぞ……!」…

夜の映画監督だったあの頃

私はお酒が好きだ。三度の飯よりお酒が好きだ。むしろ、三度の飯はお酒の愉しみを引き立てるために存在しているといってもいい。 地元にいた頃、私は毎日のようにお酒を飲んでいた。平日は仕事が終わると、まだ陽も暮れないうちに缶ビールを開けて晩酌を始め…

女性が髪を切るということ

女性が髪を切るということがどういうことかは、男にはよくわからない。実は深い意味なんてないと言われているけれど、その一方で、やっぱり何かしらの意味があるのではないかとも疑ってしまう。結局私たちはその真相を知ることなどできないのだ。あの日女子…

いま、私の手元に夏がある

どうやってこの本の存在を知ったのか憶えていない。おそらく誰か知り合いのつながりのツイッターなんかで偶然発見したのだと思う。それよりも最初にこの表紙が目に入ったときのイラストといい、表題の短歌といい、手書きの文字といい、すべてが私の捜してい…