或るロリータ

A Certain Lolita

「選ばない」という選択をやめた20代前半

私は何かを選んだことがない人間だった。生まれた田舎町でそのまま育ち、親や友達ともそれなりに仲良く、喧嘩をすれば普通に落ち込み、与えられた幸福には素直に喜ぶ少年時代を過ごした。だが、一歩間違えば、私の少年時代はもっと悲惨なものだっただろう。なぜなら、私は生まれ育ったステージから一歩も動くことなく、幸福も不幸も、みんな当たり前のものとして受け入れていたのだから。

恋においてさえ、それは同じだった。初恋というものは往々にして淡い思い出のまま終わってしまうものなのかもしれないが、それは人生において一度きり、初めてのことだから許されるのだろう。村下孝蔵風に言うならば、「遠くでいつも君を見ていた」だけの、そんなやり方の恋をおよそ十年あまりも続けて、いっさいの経験値も得ることなく、私は青春時代における一大事業、「恋」を見事にスルーしてしまったのだ。

恋だけならいいだろう。進路においてもまた、私は何も選択しなかった。

地元の幼稚園からそのまま同じメンバーで小学校に入学し、中学もほとんど変わらないメンバーのまま過ごした。だから改めて友達など作る必要もなかったし、私は自分が当然社会に出てもやっていける人間だと信じて疑わなかったのだ。まるで生きてさえいれば神様が立派な大人というものに仕立て上げてくれるとでも思っていたように。

高校受験は、少し悩んだ。それは将来自分がどうなりたいとか、そんなまともな理由ではなくて、同郷の友達とばらばらになってしまうこと、知らない人の方が多い環境で新たな生活を始めることへの不安からだった。ああ、そのままエスカレーター式にみんな同じ高校に行って、そのまま同じ会社に就職できればいいのに。幼稚園のころの自分に問いたかった。「友達って、どうやって作るんだっけ?」

結局私は勉強をするのが嫌だからという理由で工業高校へ進学した。そこでどういった技術を身につけて、どんな仕事に就きたいとか、そんなことはいっさい考えずに。たった三年後の話なのに、遠い未来の話だと先送りにして、目をつぶっていたのだ。

それから暗澹たる高校時代をなんとか乗り切って、卒業を迎える。就職だ。そのころ、新卒で就職した会社には基本的に一生勤めるものだと思っていた。私の住む田舎ではそうだった。新卒が重要なことには変わりないが、それが都会での認識とだいぶちがう。転職なんてよほどのことがなければ考えないし、いざ転職したとしてもそれはよくない理由によるもので、さらに条件のよい会社へ移れる可能性などないという認識なのだ。(もちろん、進学などで県外へ出たものはその常識のずれに気づくはずだ)

つまり、結婚してマイホームを建てて、子供を育てることを目標とし、少しでも条件のいい大企業へ入るために高校で必死に成績を上げ、さらにいえばレベルの高い高校に入るのもそのためで、実は中学のテスト勉強もみんなそのために頑張っていたのか、あの頃からみんな将来を見据えていたのか、と驚愕した。テストは順位を上げて親にお小遣いをもらうためのものではなかったのだ……。

と、その頃になって気づいても後の祭りで、というより別にそれがさして重要なことだとも思わず、就職間近になってさえ、私にとってそれはいつか描いた「将来」ではないのだった。将来っていつ来るのかなあ、そんな風にのんきに考えながら、またもや軽い気持ちで大して仕事内容もわからない地元の企業へ就職してしまう。

その企業で数年間働くうち、私はようやく気づいてしまった。「あれ、人生ってずっとこのままの感じで終わるんじゃね?」

それもそのはず、片田舎でつまらない仕事をして安い給料をもらって、定時に帰社して金麦を飲む毎日から、どうすれば政治家とか野球選手とかクリエイターとかいうパッとした職業になれたり、素敵な恋人ができて幸せな家庭を築けたりする未来が結びつこうか。誰が導いてくれようか。

「何も選ばない」。それを繰り返した私の人生は、おそろしいほどに失うことの連続だった。およそ誰もが通るはずの青春という期間を経て、大切なものを失いまくっていた。二度と取り戻せないほどに。そして問題なのは、何を失ったのかさえ自分でもよくわかっていないこと。少なくとも子供のころに見ていた夢はとっくに失っていた。

そうか、選ばないって、楽なんだ。楽だけど、虚しい。あの時も、あの時も、みんな、勇気を出して選び続けていたんだな。その先にある幸せを自分でつかみ取るために。私は初めての「選択」にひどく恐怖した。責任が、こんなに重いものだなんて。

「実は、東京に行くことになりました。仕事を辞めさせていただきます。」

もう、戻れない。二十代前半。その責任の重さが、ちょっと嬉しかった。これからは、失敗しても、すべて自分のせいだ。だって私が「選択」したんだから。

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

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