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或るロリータ

A Certain Lolita

失業からスタートした私の2016年

労働 私情

ちょうど去年の今頃だった。地元で勤めていた仕事を辞め、上京し、新しい仕事を始めて一か月ほどが経過していた。上京する前に抱いていた東京へのイメージは、かつて旅行に訪れた際の東京駅や日本橋の襟を正したビル群や、活気あふれる上野浅草のあたりであって、東京なんてどこもそんな異空間が広がっているものだとばかり思っていた。だが実際に配属されたのは東京でもなければ横浜とは名ばかりの片田舎、大きな国道が横切っていて、排気ガスとため息に汚れ、さびれた商店街の中を人はみなうつむいて歩き、駅前の蕎麦屋が美味いこと以外は愛すべきところなど見つからない町だった。私の住んでいた社員寮は新築だったが狭くて壁が薄く、じっとしていられないほど寒い六畳一間の、もはや小綺麗な牢獄だった。

最寄り駅は三つあったがどれも遠く、真冬の月の出ている時刻に家を出る私には、何枚コートを羽織っても骨のきしむような痛みを伴う長い道程だった。休みの日にはJRの駅を利用して、近くの大きな街へ買い物へ出かけた。日用品を揃えるのにも電車へ乗らなければならなかった。腕のちぎれるほど買い物袋を抱えて戻った夜半、ほんの数駅離れるだけで都会の匂いがしていたのに、と、高架より静まり返った町を見下ろして憂鬱。無人駅の灯りは薄暗く、自動販売機の光のみ暗闇に浮かび上がる。帰る故郷はどこにもなく、待っているのはあの狭い牢獄だけだった。

日を追うごとに身体はおかしくなっていった。自分は呑気でマイペースで、ストレスなんてほとんど感じない人間だと思っていた。だが、毎日雨の中にさらされている生活の中で風邪をひかない人間がいないように、私もまたあらゆる苦しみに傘もささずに打たれながら歩く暮らしをしていたから、当然だ。学生時代は本ばかり読んでいて、スポーツの経験もろくにない私が、真冬にもかかわらず寒空の下で全身の衣服がしぼれるほど汗に湿る重労働をし、先輩社員からは罵詈雑言を浴びせられ、一切の休憩は与えられず、定時なんてあってないようなもの、月の出ている時間に出社し、月の出ている時間に家に帰る日々、ふらつく足取りで電車に転がり込んで、駅から家までの帰路も足をひきずりひきずり、意気込んでいた自炊などほとんどできる余裕もなく、スーパーで買った半額の弁当に手をつけようとするも疲労で箸が震えて思うように食べられず、倒れこんだ六畳一間の硬い床で眠り、風呂に入る時間さえないこともしばしばあった。生きている意味などないように思えたが、そのことに気づく暇さえ与えられなかった。

年の瀬を迎える頃には私はボロボロだった。身体に不調が出ているだけで、心は平気だと強がってはいたけれど、おそらく精神状態もかなり不安定だった。毎日、寝る前になるとわけもなく涙が止まらなかったからだ。体調不良で一日だけ会社を休んだ。すると心がすうっと軽くなった。逃げ道だってあるということを思い出した。こんなところでなにしてたんだと急に自分が馬鹿らしくなって、そうして会社への憎しみも湧いてきた。私は仕事を辞めることを決意して、それから数日後、震える手で会社へ電話をかけた。辞めるのはとても簡単だった。きっと辞める人間が後を絶たないのだろう。去る者追わず、といった姿勢で、辞めると決まった途端、その日だけは妙に全員優しかった。

辞めてしばらくすると故郷から家族が遊びにきてくれた。飛行機のチケットを取ったときにはまだ私が退職を決める前だったから、都会で心機一転働く息子を労うつもりで会いにきてくれるはずが、あっというまに職を失い、完全に行き場の見えなくなった息子の待つ東京へ会いに来るのはよい気分ではなかっただろう。しかし両親は辞めたことを咎めたりはしなかった。そんな会社、辞めて正解だったと言ってくれた。だめになったらいつでも帰ってくればいい、お前には逃げる場所があるんだから、といつになく優しく言ってくれた。まだまだ、こんなもんじゃ終わらないよ、今に見てろ。私はやれるところまでやるつもりだった。全て投げ出してここまで来たんだ、怖いものなんてなにもない。気丈に両親を見送ってやった。

 

もう一年も経つんだということに驚きを隠せない。あの町で最後に食べた蕎麦の味や、荷積みしたトラックで夜明けの道をひとり走ったこと、かじかんだ手と白い月。寒くなってくると冬の匂いに乗せられてあのときの感覚が少しだけよみがえる。思い出したくもないし、前は思い出すたびゾッとして、言い知れぬ恐怖にのたうちまわったりしていたけれど、一年が経ってようやく、落ち着いて振り返ることができるようになった。苦しみに固められた日々を、時間の流れが少しずつ風解してくれたようだ。

今の仕事は前の半分くらいの給料しかもらえない。だが日ののぼった時間に明るい道を歩いて通勤することができるし、椅子に座って昼ごはんを食べることができる。眠気や疲労とは相変わらず闘っているけれど、身体を痛めつけながら働くなんてことはない。前の仕事の給料がよかったのは、健康や寿命を削り取って差し出していたからにほかならない。私のもっとも貴ぶ若さというものを、全部ないがしろにして、踏みつけて、ぐちゃぐちゃにした焼け野原にあぐらをかいてスーパーの半額弁当を食べていたのがあの頃だった。行き先の違う急行電車に乗り込んで、降りるタイミングを失ってしまっていた。あのまま乗り続けていたら、どこへたどり着いていただろう。ロールサインには、地獄の文字が見える。

私は長らく不幸というものを味わっていない。もう、慣れきってしまったのだ。不幸を味わう舌が馬鹿になってしまったのだ。決して帰りたい日々ではないが、あの日々がなければ今の私もなかったのだと思うと、複雑な気分である。だがそれも、うまいビールを飲むための一仕事みたいなものだと思えば、人生にはそういう時期が不必要とは言い切れなくなるものである。

もう、なにもかも、思い出に変わってしまったんだから、だったら、あれこれ悩むことはない。今さえ確かなら、それでいい。それに、歪みや不幸をたくさん詰め込んだ人生の方が、かえって煌びやかだ、そんな気がする。

貧乏はメンタルを弱くする

吝嗇 私情

久々に文章を書く。気づけばずっとこのブログも更新していなかった。仕事が忙しくて、まるで手がつけられなかったのだ。

私がネット界隈から失踪してしまったと思った人もいたかもしれない。だが、私はなにぶん往生際の悪い人間なもので、美しい別れとか、鮮やかな去り際とか、そんなものに無縁の人生を送ってきたもので、あらゆる物事に対して幕を閉じるのが苦手な性分なのだ。だからブログなど継続するのも苦手だし、仮に永らく放置したところでそれが永遠になることはまずないだろう。たとえ十年間更新しなかったとしても、十年ぶりに心情の変化があったなら、あっけなく沈黙を破ってしまうそんな人間だ。

さて、今回重い腰を上げて筆をとる(といっても入力しているのはパソコンで、やみくもにキーボードの上でタップダンスを踊っているだけだが)に至ったのは、この頃とにかくついてないことが多すぎて、さすがに絶望という言葉を使わないでは済ませられない状況に陥ってしまったからである。

まず始めに申し上げると私は未だに貧乏だ。春に再就職を果たして仕事をこなすようになった一方で、賃金の方は対して期待が得られず、未だ心寒さにふるえる毎日を送っている。そんな中でも数少ない友人というものがおり、数年ぶりに再会した上京組の同郷の友人と、酒を飲むことになったわけである。普段外で酒を飲むことなどまずない私、飲むとしても中央線沿いの安い酒場で一杯二杯の酒をけちりながら飲むのが関の山、そんな私が今回友人に指定された場所は新宿であった。新宿など大抵は中間地点として選ばれるだけの土地であり、好んで飲みたいと思える街ではなかった。しかし決まってしまったものは仕方がない、私は乗り気のしない思いでその夜新宿へと向かった。

昼間は晴れ渡っていて陽気だったが、夜になるとまっすぐ歩けないほど風が強かった。友人と合流したがあまりの寒さに手足は凍え、一刻も早くどこか建物の中へ入りたいと歩き始めた。目当ての店もないままにふらついていると、チェーン居酒屋の密集したビルの前で客引きの若い男が私たちを呼び止めた。

「どこかお探しですか?」

私は客引きというものなど信用していない人間だから、そんな戯言に付き合っている暇はないと歩を進めようとしたのだが、普段居酒屋になど滅多に行かない友人は、私より東京歴の長いくせしてまるっきり田舎者のような面持ちで客引きの声に耳を傾け始めた。

「鳥貴族は今いっぱいですよ。その上の階の店ならご案内できますよ。割引つけときますよ。」

男の文句に友人は親切にしてもらったと思い感謝さえする。私は苦い表情をしながらそのビルへ入った。

そのときのことを思い出したあとで今の懐の中を見ると、余計に後悔が押し寄せてくるけれど、端的に言うとその店はぼったくりであった。うまくもない料理に無愛想な店員。おまけにわけのわからぬサービス料などを加算されて、一人三千円あまりを毟り取られた。しかもなるべく金のかからぬようにと怯えながら注文した結果だ。三千円あればいつもの居酒屋でそれなりによい日本酒でも飲めたのにと、ほとんど泣き出しそうな思いで店を後にして、頰に涙を凍りつかせて私は中央線を下った。

それから家に帰ると郵便受けに今年唯一応募した文芸新人賞の結果通知葉書が届いていた。今年はあまりの忙しさに、ろくに小説など書けなかったのだが、毎年応募しているその賞にだけは、どうにかこうにか一作提出することができたのである。例年、割といいところまで通過しており、今年はそろそろ飛び上がるような電話の一本でもかかってくるかと思いきや、なんと例年の影もなく非常に残念な選考結果がそこに記されており、葉書一枚で私の一年は幕を閉じたのだ。

貧乏になればなるほどメンタルが弱っていく。ほんの数千円の出費で胸が痛み、未来への不安がつきまとう。お金の心配をせずに生きられたのは、高校生までだっただろうか。大人になれば、生きているだけで税金がかかり、家賃が、光熱費が、食費がかかることを知る。漫画を買うためだけにお小遣いを貯めていればよかったころが今となっては恋しい。懐のふくらみがそのまま人生への展望へつながるこの頃が、息苦しくて仕方がない。

ただただ愚痴のようになってしまったけれど、そんな感じで、どう年を越そうか考えている私です。

 

お題その2「今年、買ってよかった物」

「キツイけど定時に終わる仕事」を選ぶことは果たして正しいのか

懊悩

仕事と趣味、この二つは人生にとって非常に重要なものである。趣味なんて、所詮付加価値でしかないという人もいるかもしれない。確かに、最低限の給料、最低限の衣食住を得ることと比べて、趣味というものは明確な基準の存在しないものである。まったくなくても生きていけるものではあるし、突き詰めれば終わりがない。だからと言って趣味を仕事の二の次としてしまってもよいのだろうか。いいや、ここは趣味に限る必要はない。その必要はないのだけれど、少なくとも生きるために最低限困らない仕事をどうにかやってのけるだけの毎日を送っているとするならば、それはもう生きているのではなくて、ただ死んでいないだけだと言える。

趣味さえあれば、人はそれなりの幸福を感じながら生きてゆくことができる。私生活を脅かさない穏やかな仕事をして、業務時間外は完全に趣味に費やしてしまうという生き方だ。これは人生の大半を占める仕事の時間を完全に捨ててしまっているとも言える。人生の半分を生け贄にして、残りの半分で精一杯もがくのだ。そうすることで限りなく仕事と趣味とのバランスを均衡に保とうとする。ごく一握りの人に限っては、趣味の重量が仕事のそれを上回ることがあるかもしれないが、その他すべての人々にとっては、労働の苦しみからギリギリに逃げ出さないで済むくらいに、精神を保っていられる僅かな精神安定剤として趣味の時間を投与するのが精一杯であろう。

それ以上に幸せな生き方があるとすれば、それは好きなことを仕事にしてしまうことだ。あるいは、始めには好きな仕事でなかったとしても、従事するうち計り知れないやりがいを感じ始めて、労働こそに美と愉しみとを見出してしまうことだろうか。しかしそう物事はうまく運ばない。ケーキ屋さんになりたい女の子がみんなケーキ屋さんになっていたら、街はスイーツの甘い香りで息がつまってしまう。私たちのほとんどは一刻も早く時計が八周してしまえばいいと、一日も早く給料日が訪れて欲しいと、そんなことを願いながら仕事をしているのだ。けれどそうでなければ世の中は成り立たない。積もり積もった苦しみの上に成り立った世界なんて、あっていいはずがないけれど、世界中に蔓延する不条理よりも、明日の晩酌に困る方が問題だ。少なくとも私はそうであった。

私は現在の職場を含め、これまでに三種類の仕事を経験した。それらはみな職種も勤務条件もちがえば、勤務地さえもただ一つとして同じものはない。それぞれ、定時に終わるが一切のやりがいは感じられず給料の安い仕事、激務だが給料はそれなりで定時に終わることなどまずない仕事、そうして給料は安く残業もそこそこだがやりがいのある仕事である。現在の仕事は三つ目にあたる。この中で私がもっとも苦しかったのは、二つ目の仕事である。地元にいた頃、仕事は定時で終わるのが当たり前だった。ときどきサボるのも当たり前だった。家に帰ってまだ陽のあるうちに晩酌をするのは当たり前だった。虚しさはあったけれど、きっとあのまま我慢を続けて生きてゆくのも不可能ではなかっただろう。決定的に足りなかったものといえばお金だけだった。

お金がなくても叶う趣味などこの世には幾らでもある。だが私は時間の対価にたったあれだけの給料を受け取り、若さを刻一刻とすり減らしてゆくのが我慢ならなかった。何も考えずに勤まる肉体労働をして、仕事の時間では身体を鍛え、就業後には思う存分趣味を謳歌し、おまけに金銭にもゆとりのできるはずの職業に就きたいと思い、地元を離れた。

結果は大失敗だった。失敗した原因は二つある。一つはその会社についてよく調べ上げていなかったこと。業務内容や社風などをよく把握していなかったのだ。何も知らずただ肉体労働が自分などに勤まると思い上がっていた。そしてもう一つは、仮に定時に終わる仕事があったとしても、決して仕事の後の時間は自分の思い通りになるとは限らないと想像していなかったことだ。それどころか、休日さえも食い潰してしまうおそれがある。私もその肉体労働を始めた頃には、定時で終わることもあった。しかし身体を引きずりながら帰りの電車に乗り込むのがやっと、とても家に帰ってあれこれしようなどという気にはなれなかった。あまりに過酷な仕事は、区切られた時間の外でも、そこで失った体力や精神力を少しでも回復させるために、ひたすら休養を必要とするのだ。

仕事は仕事で割り切って、自分は趣味に生きる。

そう考えている人にこそ、ちゃんと考えて欲しい。ただ条件だけに飛びついてしまって、果たして良いのだろうか。仮にもその道で食っていくプロになる訳である。誰にでも簡単に勤まる仕事などないと思った方がいい。人には向き不向きがあるのだ。好きなことを仕事にするのは難しくても、せめて少しでも自分に向いている仕事を見つけたいものだ。どんな職種であっても、実際にそこで自分が働いている姿を、まずは限りなく具体的に想像すべきだろう。

机を買うお金がないから自分で作った

吝嗇 愛翫

就職して早半年が過ぎた。毎月僅かながらの給料をもらい、寝床と質素な食事くらいは確保できるようになった。しかし貧乏暮らしからは未だ脱出の兆しはなく、忘れたころに届く健康保険と国民年金の支払い通知に震え上がって目をつぶりたくなるのは相変わらずである。一本の缶ビールを買うのにさえ躊躇う暮らしの中、大きな買い物など当分できそうもない。生活家電に関しては、上京したての輝かしい時期にあらかた揃えてしまっていたから、なんとか最低限の人間的な生活をするのには事欠かなかったけれど、それ以上に日々を文化的たらしめようとすることは、今の私には遠い夢のような話である。大好きなお酒さえ飲量を大幅に減らし、そのうえ名も知らぬ不穏な銘柄の安ウイスキーを冷やして飲むのがたまの贅沢、酒場など長らく足を運んでいない。そんな私の生活にもっとも足りないものは机であった。物を書いたりパソコンに向かったりするとき、机の存在は欠かせない。上京してからというもの、私はずっと小さな食卓用のちゃぶ台にパソコンを置き、床に座って画面に向かっていた。そうしているといつも途中で腰が痛くなるのだ。それに食事のたびに小さなちゃぶ台の上からパソコンを辺りの床に降ろさなければならなかった。そこに文化の香りなど何一つない。腰痛とともに惨めな思いも募ってくるのは当然のことである。

机が欲しい。就職してずっと思っていたことだった。しかし机の相場を考えれば、今の私には決して簡単に捻出できる金額ではない。かといってこのまま肉体と精神を削りつづけて暮らして行くのも建設的とは言えない。だとすれば自ずと導き出される答えはひとつであった。机など、作ってしまえばよいのではないか。

私は早速木材を買い揃えた。初期投資が存在するのは仕方のないことだ。しかし完成品を買うと思えば安いもの。アパート住まいの身もあって、世間で流行りのディアウォールと呼ばれるものに手を出してみることにした。机を作るついでに、棚も新設するのである。床と天井に突っ張り棒の方式で柱を立てて、そこに棚をそなえつけてゆくというものだ。限られた間取りの中で、本来白壁だったはずの場所を収納として使えるというのは、大いに意義のあることだった。

そうして机は完成した。製作の過程については割愛する。なぜなら私は有用な文章を書くことがもっとも苦手だからである。それより日々の徒然の中で、沸き起こった感情をあれこれこねくり回して囀るのが心地よい。何はともあれ机は完成したのである。好きな本や小物を並べたり、お気に入りの絵を飾ったりしてゆくと、そこがどんどん自分の居場所に変わってゆく実感を得た。城、とまで呼べる代物ではないが、少なくともこの一帯だけは私にとって行きつけのBARの席のように安堵と高揚をもたらす場所となった。これでこのブログを更新するのももう少し捗りそうである。ちなみにこの文章はiPhoneで書いた。

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私は懐かしくなりたくて映画を観る

懐古

ときどきそんな気がするのだ。私にとって物語の筋道などどうでもよくて、ヒロインが有名女優かどうかなんて関係がなくて、監督の裏設定などはなから興味がないのだ。私は映画を観るときいつだって、その風景や音楽、ヒロインの細やかな動作や声に気を取られている。いわゆる映像美を堪能するためだけに映画を利用していると言ってもいい。そうして私が映画を観るにあたって、自分の中のどの感情をいちばんにけしかけたいかといえば、それは興奮でも恐怖でも官能でもなく、懐かしさというものだ。私は映画を観てとにかく懐かしくなりたい。それでいて面白かったならそれに越したことはないけれど、たとえストーリーが面白くなくても懐かしくなれれば及第点である。

まだふるさとに住んでいたころ、私は土曜日の午後になるとよく映画を観た。金曜ロードショーなんかで放送されていたのを録画したやつや、ツタヤに行って借りてきたやつなど、とにかく家で観ることが多かった。夏であれば私は蝉の声を遮るように窓もカーテンもしめきって、キンキンにエアコンを効かせた部屋の中で、昼間から酒を飲みながら映画を観る。それはキンキンに冷やしたビールだったり、純米吟醸だったり、ハイボールだったりした。ベーコンとチーズをトースターで焼いて、それをアテにワインを飲むこともあった。とにかく私はあの座り心地の悪いソファーに凭れて、自分だけのために存在する空間の中で、ひたすら映像美に眼をかたむけていたのだ。

懐かしくなればなるほど酒が進んだ。沈んでしまうのがわかっているのに、それでも自ら淋しさへと身を投じるのは、まるでいたずらにささくれを剥いて血を流してしまう我慢の効かない子供のようだった。だけど、私にとって映画とは、懐かしくなるための唯一の手段であり、あの頃へもどるためのタイムマシンだったのだ。

今週のお題「映画の夏」

ポケモンに支配された街の中で

文藝

街がいっぺんに明るくなった。明るくなりすぎてしまった。憂鬱なものはみんな騒々しくなり、病もみんな健康になり、あらゆるビルとビルの隙間にまで光が当たるようになった。街に陰などどこにもなくなった。昼が永遠に終わらなくなった。

こんなに天気のよい真昼には外に出てみようかと、陽射しの中へ飛び出してみれば、そこらじゅうにうつむいて歩く人々。緑色の画面を切羽詰まった顔で見つめながら歩いている。夫婦もカップルも赤ちゃん抱えたギャルメイクの母親も、スーツ姿のサラリーマンも休憩中の警備員も、みんなおんなじだ。この街は電脳世界になってしまった。これまで日陰に隠れていた人々もみんな公然へと躍り出て、そうして感情を持たない機械仕掛けのようにそこらじゅうを歩いている。私はゾンビに襲われた街の中を、ひとり駆け抜けるような気分だった。

ポケモンGO』というものの存在を知らなかったわけではない。けれどそんなものは一部のゲーム好きな若者たちがまっさきに飛びつくだけのことだろうと思っていたのだ。何もテレビで大きな地震が起きたあとのように連日そのことを報道しているわけでもないし、選挙通知のように全家庭に手紙が届くわけでもない。だからなおさら一部で盛り上がって終わってゆくひとつのコンテンツに過ぎないと思っていたのだ。

だけどその朝、私は外に出た途端、世界がまるで昨日までとちがっていることに気がついた。そこにいるすべての人々が、街そのものが、ポケモンのためだけに存在しているような気がしてしまうのだ。彼らは何事もないふりをして私に微笑みかけながら、けれどそれは円滑にポケモンを捕獲するためのつくり笑い。本当はもうそこには感情などなくて、ただポケモンだけが彼らにとって最優先の事項なのだ。私のことを知っている人間など、この街にはひとりもいなくなった。

私は友人の家へ駆け込んだ。「大変だ……、」そう言いかけて、彼のスマホの画面の中でポケモンがうようよ動いているのが目に入った。彼は「どうしたの?」と心配するふりをしながら私の方を向いたが、その目の中にきっと私は映っていない。彼はもう私のことなど忘れてしまったのだ。

私はひとりさまよい歩いた。おなじようにさまよい歩く人たちがたくさんいる。片手にスマホを持ってさえいれば、彼らも私を仲間だと思い込むだろう。そうすることで私も「世間」の一部になったふりをすることができるのだ。もう、この街で本当に感情を残しているのは私ひとりかもしれない。感情を残して生きるということは、時代に取り残されてしまうということだ。すべての人類を乗せて出航しようとする船を、ひとり港に立って見送るということだ。もう、ここで生きる道などないのかもしれない。けれど私は、変わってしまうことが怖かった。

家に帰って、私は原稿用紙に向かった。何か書こうと思ったが書けなかった。友人や妹から「ポケモンGOやってる?」そんなラインが次々届く。私はスマホを放り投げて眠った。

目が醒めると真夜中だった。無性にのどが渇いて、コンビニへビールを買いに出た。すると、こんな真夜中なのにうろついている人が何人もいる。たった数百メートル、コンビニへ行くあいだにも、やつらは私の世界を侵してくるのだ。コンビニへ着くと、店員はいなかった。奥の休憩室を覗いてみると、緑の画面をじっと見つめて微笑む青いストライプの少女が見える。私はカウンターに百五十円を置いて店を出た。店先の国道では、頭から血を流して倒れる男性と、フロントガラスの割れた車が見える。倒れた男性はアスファルトに寝そべりながら血だらけの指でポケモンを捕まえている。運転手と思わしき男性も車に凭れてポケモンを捕まえている。気づけば交差点のあちこちでおなじような状況が起きている。信号はあやしく点滅を繰り返している。コンビニの裏では若い女性が裸にされて男にひどい暴力を受けている。けれど痛みよりポケモンに夢中である。いつしか夜空は真っ赤に燃えていた。朝焼けが来たのかと思った。けれどそれは街じゅうで起きた火事のせいらしかった。誰もそのことに気づいているひとはいない。私もビールを飲み干して、何も気づかなかったふりをして家へ帰った。そうして原稿用紙をぐしゃぐしゃに丸めて鉛筆を折り、枕元に落ちているスマホを拾って、そっとポケモンGOのダウンロードを開始した。


Netflix火花お題「夢と挫折」

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人に何かを伝えるということの難しさ

懊悩

人は、自分のためだけに発せられた言葉の真理にはなかなか気づかないものである。学問にしろ恋愛にしろ、自分のためだけに用意された言葉、作られた言葉は、案外心に響かない。人は、日常の中からしか学ぶことのできない生き物なのだ。

だから本当に伝えたいことを相手に伝えるということはとても難しい。

たとえば政治に熱心な若者がいたとして、周りの友達や恋人とも国の将来への不安を語り合い、希望を導き出すための議論をしたいとする。けれど、仲間たちは政治になど無関心。そんなとき、どんなにその若者がひとりで熱く語り始めたとしても、その行為は場を白けさせる効果しか生まないだろう。考えてみればその若者だって、始め政治に興味を持ったとき、きっと誰かに強制されたわけではないだろう。偶然演説を聞いたのかもしれないし、政治家の著書を目にしたのかもしれないし、ネットで特集が組まれていたのかもしれない。きっかけは何であれ、「この人について知ろう」と身構えた状態ではなく、極めてフラットに、日常の中で、心を許している状態の中で入ってきた情報だからこそ、胸を打たれるものがあったのではないか。だとすれば、飲み会の席などで情熱を持って仲間たちの思想を正そうとするのは、見当違いな手段なのである。本当に行うべきは、日常の中で、自然と彼らが道を踏み外すきっかけを用意することなのである。

たとえば一緒にテレビを見ているとき、ザッピングのふりをしてちょうど政治番組を流してみたり、積ん読の一番上におすすめの書籍を目につくように置いておいたり、だけど決して自分から相手におすすめをしてはいけない。その人の人生の中で、きわめて偶然に、運命のように手に取ったものから衝撃を受けるということが大切なのである。

もちろん誰かに薦められてそのままのめりこんでしまう人も中にはいるだろう。だがそういう人は遅かれ早かれ何かしらの洗脳を受けて受動的に自分を構成してゆくものである。眼を向けるべきはそのほかの大多数の存在だ。あなたが今一番好きなアーティストに、最初にはまったきっかけはなんだったか、考えてみるといい。友達に「このアルバムめっちゃいいから聴いてみて」と渡されたことだろうか。そうかもしれない。けれど、私はちがう。私はこれまで、好きになったもののほとんどは、自分から見つけたものばかりだ。たとえば最近好きになってライブに行ったインディーズのバンドがあるんだけど、それはツイッターで誰かがつぶやいていたものを偶然見つけてそこから音源にたどり着いてはまったという流れ。これは一見他人に影響されているように思えるのだが、そうではない。決してその人は、私におすすめをするためにつぶやいていたからではないからだ。誰かを経由したとしても、間接的に、そして自らその情報にたどり着くということがここでは重要なのである。

私は普段歌謡曲ばかり聴いて、古い小説ばかり読んで、「趣味は音楽です」とも「趣味は読書です」とも名乗れないほど共感を得られる相手のいない悦びを持っている。だからときどき誰かと肩組むのが恋しくなって、カラオケで私が歌った曲に対して「うわー、俺その曲めっちゃ好きだわー」みたいな声があがる日が死ぬまでにくればいいなと思っているんだけど、かといってアルバムを渡したところで聴いてくれるような純真な友達は一人もいないし、カーステレオでさりげなく流していてもみんなおしゃべりに夢中で気づかなかったりで、一体人に何かを伝えることはどうしてこんなに難しいんだろうと思った。毎日毎日その人の家に行って見えるところにCDを置いて帰ろうかなとか考えても、そこまでするともはや偶然の出逢いを装うことはできないし、なんだかぐしゃぐしゃにして捨てられるのがわかっていながら駅前でチラシを配る人の気分だ。

思想に関しても同じことで、友人が「俺はこういうの絶対許せないわ」という趣旨の発言をしたとき、私が仮にそのことについて無頓着だったとしても、「別にいいんじゃね」という発言は控えるようにしている。なぜなら私にとってどうでもよくても、許せないと思っている人間にとっては、それが許せないと思えない人間の考えが理解できないからである。たとえそこで議論をぶつけて、どちらかがどちらかを言い負かしたところで、さて世間に何か変化があるだろうか。何の一石も投じることはできていない。だとすれば私はこの狭い席でお互いの勝敗を気にかけて討論番組の真似事をすることよりも、世間の憂さには目もくれず猥談にでも花を咲かせて少しでもうまい酒を飲むことの方が、それぞれの人生にとって平和的なのではないかと思うのである。そうして個々が平和を抱えていけば、その集合体としての世間も、結果的に平和になるのではないか。この世から戦争なんてなくなるのではないか。と思ったけどそんなことはないか。