或るロリータ

A Certain Lolita

忘れられない猫のこと

ときどき我が家の庭に忍び込んでいる猫がいた。我が家は動物を飼わない方針だったから、私はほとんど動物に触れる機会もなく育った。見るのは可愛いけれど触れるのは苦手だった。往々にして動物の前で怯えた表情を見せる人間は動物にも好かれない。私もこれまでの人生、ずっとそうだった。吠えられるか逆に怯えられるかで、動物に愛されたことなどなかった。動物を前にすると私は初恋も知らぬ青くさい少年のように立ち尽くすしかなかったのだ。

そんな私が初めて自ら動物と関わりを持つことになったのが、くだんの猫であった。奴は我が家の庭でバーベキューをしていると、香ばしいにおいを嗅ぎつけて度々フェンスをくぐって顔を出した。野良猫のような野蛮な感じは微塵もなく、首輪はないが飼い猫だとすぐに判った。あとで聞けばそれは隣人の飼い猫であった。

奴は堂々と私たちの前へ歩み寄り、肉を奪うでもなく脚に頬ずりするでもなく、じっとそこいらを歩き回って、さながら日本庭園でも鑑賞する老人のように私たちの食べっぷりを見物したあと、少し離れた庭の隅で寝転んだのだ。なんと図太い奴だと思った。しかしその隙の多さに私は安心してしまった。美しく着飾って凛とした大和撫子より、パジャマ姿ですっぴんの女の子相手の方が臆することなく話せる心理とよく似ている。

私は肉を掴んでいた箸を置いて椅子を立ち、奴の方へそっと近寄った。念のためしゃがみながらゆっくりと近寄った。奴は少し後ずさったが、私が猫の鳴き真似をすると動きを止め、私の眼をじっと見た。私はにゃあにゃあとつぶやきながら奴の方へ近寄った。そしてついにその身体に触れることに成功した。なんというもふもふ。そしてあたたかい。初めての猫の身体に私は病みつきになった。こんなに素晴らしいものを知らずに育ってきた青春時代を悔やみさえした。

その日はいくらか撫で回してそれでおしまいだったが、その翌日も、翌々日も、奴は夕方になると我が家の庭や駐車場に現れるようになった。はじめのうちはそっと近づいておそるおそる手を触れるスタイルだったが、そのうちに私も奴も慣れてしまって、思い切り抱きかかえて口づけをせがんでも奴は平気な顔をするようになった。それどころか私が仕事から戻って駐車場へ車をバックで駐車しようとすると駐車スペースに仰向けになる奴の姿がミラーにうつる。ブレーキをゆるめても奴は一向に動かない。仕方がないから私は車から降りて奴を抱きかかえるのだ。まるで私の帰りを待ちわびる我儘な恋人のように思えた。奴は私が家に友達を招いて飲み会をするたびに、酔っ払いに大人気のマスコットとなってもみくちゃにされた。すっかりみんな奴の虜だった。

奴との別れは唐突だった。私が旅に出て家を空けたことがあった。そのあいだに奴は失踪してしまったのだ。旅から戻ると土産を受け取るより先に家族は悲しい報せを私に告げた。旅になど出ていた自分自身の行動に対する後悔に青ざめた。せめて別れを言いたかった。もう一度だけあの柔肌にさわりたい。泣きたかったけど泣けなかった。夕闇の中を飛び出して私はこれまで奴が出没した近所のいたるところを捜し回った。見つからなかった。飼い主の作ったであろう「探しています」の貼り紙が、肌寒い風に吹かれていた。夏が終わろうとしていた。

あの日まで私はずっと猫派だった。そうしてあの日からもずっと猫派だ。今でもときどきあの甘い日々の思い出がよみがえって、そうしてむなしくなる。それを私は心の内でそっと失恋のひとつに数えている。

 

今週のお題「犬派? 猫派?」

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