朝におびえるのをやめた
夜にまぎれて暮らしていたこともあったけれど、本当は朝を愛するべきだったと知る。偶然、早起きに成功した日は、いつだってそう確信する。
そこには泥のような寝床から昼下がりに起き出すときの、自分を許す作業が必要ない。ゆうべから送られてきた憂鬱の荷物を解かずに済むのである。夜は強いアルコールのように、甘くて、優しくだめにしてくれるから、つい人は夜と手を繋ぎたがる。
しかし、朝焼けのガソリンスタンドを通り過ぎ、雨上がりのアスファルトに光る湖を踏みくだき、湿り気の残る公園のベンチに腰を下ろしたとき、私は朝の静けさの中で、本当の自分と久しぶりに見つめ合えた。子どもの頃と同じような、鋭い感覚が少しだけよみがえり、懐かしさと、恥ずかしさで胸がいっぱいになる。
あの頃の私は、ただ無知なだけでも、無垢なだけでもなく、私の知る大人たちよりずっと、強く戦っていたことにようやく気がついた。子どもたちがみな前を向いて歩いているように見えるのは、若さゆえではない。朝、無理矢理にでも家を飛び出し、誤魔化しの効かない世界の中へ立ち向かっているからだ。
思いがけず口づけをするように、夜に背中を押されることで、送信ボタンを押せた日もある。前進にともなう痛みを、どうにでもなれ、と麻痺させてくれるのは、確かに夜の効能だろう。
夜は私にとって、もっとも付き合いの長い悪友だった。いつかまた、転んで立ち上がれないときがきたら、君の懐に甘えてしまうかもしれないけれど、その日まで、少し離れたところから見守っていてほしい。私はもう一度、朝のやつとやり直してみることにする。