或るロリータ

A Certain Lolita

お酒をやめることにした

突然だが、お酒をやめようと思う。これは目標ではなく、決断だ。思えば私は青春の終わり頃からずっと、お酒とともに生きてきた。遥かなる思い出の数々はそのほとんどが酔いどれだ。飲むことでしか夜の行き方がわからなかったし、一杯飲むごとに延長されてゆく週末の真夜中のなんと麗しいこと。次はどの店に入ろうかと友人と肩を組みながら歩く街の、路面にうつるネオンや赤提灯はため息の漏れるほどに美しく、幻想的だった。長らく夢を見ることをやめていた私にとって、金曜日の夜だけは、いつかやり残したファンタジーを再現してくれた。孤独な夜さえ、淋しささえ、ひょっとしたら幸福だった。グラスの中でひとりでに崩れる氷の音が、風鈴のように静寂を打ったとき、部屋じゅうがたちまち夏になる。目を閉じれば思い出の数々があざやかに私を遠いあの日へ連れ出して、心はいつでも少年に戻れるのだ。オイルランプの細い火を見つめながらウイスキーを口に含めば、私は何にだってなれたし、どこへでも行けた。まるで魔法みたいだった。

だからお酒をやめるのだ。魔法はいつか解けるから。永遠でないものにすがりついて、実体のない思い出にすがりついて、一歩もあとずされない帰り道をふり返りながら、うしろ向きのまま未来へ向かってゆく。名残惜しさはときどき人生のほろ苦いスパイスになるかもしれないが、私はもはやスパイスだけで空腹を満たそうとする哀れな大人になってしまっていた。私には向かうべき明日がある。時間を止めている場合ではないのだ。だからもう、何かを忘れるためにお酒を飲むのはこれでおしまい。またいつか私が杯を手にするときは、その夜を記録しておきたいときだけだ。残念ながら私はもう魔法は使わない。使わないですむように、生きて、生きのびてゆきたい。

最後の夜はそれもまた金曜日だった。初めて逢う人と、そうでない人とが半分の宴席で、ただ何も考えずに多量の日本酒を浴び、気づけば夜は深かった。そこからの記憶はあいまいな夢のよう。ただ、悪夢にはちがいなかった。どこの駅かも知らぬ駅に飛び降りて、もはや自分が何者なのかも見失って、暗闇に浮かぶホテルの青いネオンにするすると蛾のように吸い寄せられて、ふるえる指先で名前を書き、金を支払い、沈み込んだシーツの中で本当の悪夢を見た。朝陽がすべてを明らかにしたとき、私はもう引き返せない罪人だった。便器にしがみついて何度嗚咽を漏らしても、すべてのあやまちは流れ出てゆかなかった。悪夢の余韻を引きずりながら、私は朝の街を歩いた。

頭痛と、吐き気と、悪寒との、魔法を使いすぎた者に必ず表れる副作用にうめきながら、山手線に乗り、ひと駅ごとに口元を抑えながらホームに転がり落ちて、何度も息を吸った。家までの道のりが永遠のようだった。人はこうして簡単に社会からはみ出してしまうのだ。ときどき電車で見かける奇人変人の類に、その瞬間の私も間違いなく数えられるだろう。誰にも迷惑をかけない場所へ逃げ隠れたかったが、そんな場所、この都会のどこを探してもなさそうだった。

ようやく家に帰り着いてから、ずっと考えた。これは本当に私に必要なものだったのかと。楽しい記憶と悲しい記憶を交互に思い出しながら、いつか私を救ったはずのその魔法が、今の私にはもう必要なくなったんじゃないかと気づいたのだ。私はもう魔法の楽しさを十分に知り尽くした。それでもなお世の大人たちにはまだまだ青いとなじられてしまいそうだが、彼らはきっとうまく魔法と付き合うことに成功した人たちなのだ。背伸びしすぎた私の道は、ここで閉ざされたというだけの話。

もちろん、もう二度とお酒を一滴も口にしないなんて、そんな大それたことを言い切るつもりはない。これは俗に言う無期限活動休止である。アルコールの匂いのしない独房の中で、自分とお酒との関わりについて、しばらく考えてみようと思うのだ。関係各位にはつまらない思いをさせてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだが、ちゃんとウーロン茶で酔えるように練習をしておくつもりなのであしからず。