或るロリータ

A Certain Lolita

心はいつまでも少年のまま

いつになったら自立できるのか、そんなことは考えずに過ごしてきた。小学生の気分のまま中学に進み、いつのまにか高校生になった。実家にいれば毎日あたりまえにご飯が出てきて、大きな家に守られて、いざとなれば責任なんて負う必要もない。自らの部屋に逃げ込んで本を読んだり音楽を聴いたり、どんどん自分の世界に閉じ籠っていった私には、自立なんて到底できそうもなかった。

恋はしていた。していたけれど、私はずっと子供のまま。あの娘はいつしか大人になっていったというのに。失恋はあっけなかった。私は何もしなかったのだから。ただ自然に時がすぎて、自然に別れた。そうして自然に忘れられるはずだった。毎日学校へ通って、何事もなく帰る日々。そんな暮らしの中では、憂鬱の入る隙間などいくらでもあった。私は思い詰めることで季節をしのいだ。

高校生になって、初めて一人で遠出をした。青春18きっぷで県外へ出た。確か3泊ぐらいの旅だったと思う。初めての東京へ、私はひとり、重いスーツケースを引きずって乗り込んだ。東京の街は、田舎者には案外やさしかった。誰も私になど見向きもしなかったからだ。ただ、ありえないような雑踏がめまぐるしくすぎてゆく。それにさえ目をつぶれば、少し息苦しいだけの、普通の街だった。そう思った。

その旅を機に私の食事量は増えた。といってももともとがきわめて少なかっただけであるが。とはいえ私はようやく青年へとつづく階段に片足をかけ、いくらか逞しく、健全に歳を重ね始めた。やがて就職活動の時期が近づいた。他に何一つ武器を持っていなかった私は、件の東京への旅の思い出だけを提げて、企業の面接へ乗り込んだ。かつての私ならしどろもどろ、人前に出るだけで汗が噴き出して、声のひとつも出せないはず。けれど練習の成果と、ささやかな覚悟もあって、私は無事に面接を終えた。

私は働き始めた。社会人と呼ばれるようになった。周囲は私を大人として扱ったが、心はいつまでも子供のままだった。少しの賃金から酒を買い、飲んだくれるようになった。それが私をかりそめの大人に仕立て上げてくれた。また単純に酔っぱらうことは最高の気分転換だとも思った。子供のような大人のような、そんなふらついた存在のまま時は過ぎていった。特別大きな障害もなく、仕事は案外やってのけることができた。少しずつ腐敗しながら、数年が経った。

私は東京へ出ることに決めた。身の回りのことを何もかも自分でできるかどうか、まだ定かではなかったけれど。だって実家はこんなに穏やかで、楽しくて、幸福な場所にちがいなかったから。掃除も洗濯もほとんどせず、時折酒の肴をこしらえるために台所へ立つのみ。きっと、そんなことは上京を阻む理由になんてなりはしなかったのだろうけど。生活など、情熱がどうにかしてくれると思っていた。それくらい私は燃えていた。人生初の転職だ。父親は心配のあまり嘆き続け、母親は快く私を送り出した。もちろん、誰より淋しかったはずだ。

それからいくつかの挫折と苦労を重ね、私は東京にてようやく生活を構えることができた。ここに来るまで、毎日が挑戦だった。もっとも、その挑戦は続いてゆくわけだが。だけど私は、心はいつまでも少年のまま。そんなことを言っていられない年齢に差し掛かりつつあることが、何より悲しいんだけれど。自立ってなんだろう。考えても、判らない。両親は、今、少しは安心してくれているだろうか。それとも、まだまだ心配しつづけているだろうか。

最近、実家へ帰ると少し距離を感じる。もはや東京の家が、私の家で、実家は、実家。そういう場所になってしまった。昔は実家なんて呼ばなかった。あれが私の家で、東京は仮の住まいだった。時々便りを寄越すとき、故郷の言葉をつかえるのが、とても嬉しい。もう、昔のままの関係ではなくなってしまったけれど。これが自立なら、やっぱり淋しい。本当は、いつまでもあの優しい場所で甘えて過ごしていたかった。いつでも帰れるつもりで、少しだけの冒険のつもりでこの土地へ来たけれど、今はもう、帰れる場所がなくなってしまった。私はここで生きてゆくしかない。大人になって、強くなったぶん、人は、淋しさを背負わされる。もう、残りの人生で何度会えるか判らない故郷の面影たちに向けて、私はこの街で生きてゆく。今日も、明日も、力強く。