或るロリータ

A Certain Lolita

「後悔」ってそんなに悪くない

誰より故郷が好きだった私を突き動かしたのは、他でもなく積み上げてきた後悔だったのかもしれない。後悔……あのころの私には、とにかくそれしかなかった。

青春と呼ばれるはずだった時代を、私はすべて後悔に費やした。あるときは立ち去ってゆく少年時代の面影に、あるときはありふれた進学や就職への苦悩に、またあるときは稲妻のような失恋に。私にとって青春はつねに「今」でもなく「未来」でもなかった。過ぎてしまった時代の、二度と手に入らないと判りきっている時期だけを、私は胸を張って青春と呼べたのだ。それはたぶん、今の、そうしてこれからの自分が、果たして青春というものをやってのける自信がなかったからだろう。勉学に励む生真面目さもなく、部活動に汗をかく根性もなく、クラスの女の子に向き合う誠実さも色気もない。私は過去といくつかの書物だけをむさぼり、そのまぶしい季節のほとんどをあっけなく使い切ってしまった。大人になって嘘をおぼえ、恋をおぼえてもなお、後悔というものは私の生活を指し示す羅針盤であることに変わりはなかった。

学校を卒業し、働きはじめた私は、毎朝八時から夕暮れまでの区切られた時間を労働に差し出して、およそ生活に困窮しないだけの賃金を得た。望んでいない立場に就きながら、心と裏腹に上手に大人になってゆく自分。日々、仕事をこなせるようになってゆく身体。幸い、心と身体を切り離したまま、人形のようにこなせる仕事だったから、自分を見つめる時間は十分すぎるほどにあった。

社会人一年目はほとんど人と会わぬまま、家に帰っては安い発泡酒をあおるだけ。楽しみはそれくらいだったから、少しは貯金の額も増えた。二年目に入ると、中学時代の友人と再会した。彼も私と同じように、世間をうたがって生きていた。それにお酒も飲める。私たちはすぐに昔の間柄にもどった。それからというもの、毎週末になると夜の街に繰り出すか、いずれかの家に集って宴をひらいた。貯金はみるみる減っていったが、かわりに心は何か煌びやかなものに満たされていった。これが、私の生きていく理由かもしれない。仕事をして賃金を得るだけの生活も、この金曜日のために存在しているのかもしれないと思った。

青春をやり残したまま大人になった同級生は意外に多いらしく、酒の匂いを嗅ぎつけて、なぜか中学のころよりもずっと高い頻度で、何人もの友人が週末に顔を見せるようになった。私のつまらない日常の中にほんの少し、非日常の瞬間が訪れるようになったのだ。

ただし、私はそれで後悔をかき消すことができたのではない。ただ上手に目をつぶることができるようになっただけだ。誰もが部屋を後にして、空のグラスをひとり片づける朝明けに、私はいつも夢を見た。この場所を飛び出して、どこか遠くへいく夢。後先なんて考えずに、やりたいことをひたすらやって、そうして輝くもよし、だめになるもよし。なによりこの部屋に居続けることより、ずっとましに思えた。

やがてグラスを交わしても私ひとり、胸の中の東京にばかり焦がれるようになった三年目、私たちの長い同窓会に夕暮れが訪れた。いよいよ私は、出ていくことを決めたのだ。私には学歴も資格も才能もない。上京する準備など、何一つ整っていなかった。この場所にいて、楽しくあきらめていくこともできたはずだ。それでも私は決めたのだ。それが初めての失敗であったなら、私はまだあの部屋にいたかもしれない。けれど私は、もう、いやというほど後悔をして、後悔なんてし飽きたのだ。それも、すべて「やらない後悔」に帰結する。私は指をくわえて何もかもを見送ることだけに関しては、どんな大人より深く知り尽くしたつもりだった。その先に、何もないということも。

「やって後悔」することが、どんな気持ちなのか、一度くらい知ってみても悪くない。だめになったら戻ってこよう。失敗を重ねた人間の、最後の強みである。ある秋の日に、私は故郷を発った。

死ぬ以外の失敗なら、なんでもしてやろう。そんな気持ちで転んでは起き上がり、今、ここにいる。東京の街にもようやく慣れてきた。やっぱり故郷が恋しいが、ここで私を必要としてくれる人もいる。浪費したはずの青春時代に読みふけった書物や、稲妻のような失恋の心境、無駄だと思い込んでいたかつての仕事での経験も、面白いくらいすべて今の仕事につながっている。後悔なんて、後悔なんて、さなぎの中で必死に蠢く、どろどろしたスープみたいなものじゃないか。必要だったんだ。私にとって。あの悩み抜いた日々がなければ、私は今、ここにいないのだから。