或るロリータ

A Certain Lolita

貧乏だから家で餃子をつくる

ビールといえば餃子。餃子といえばビール。このふたつはまるでラブコメにおけるツンデレな幼馴染のように切っても切れない関係である。

数年前、初めて地元に餃子の王将ができた。田舎者は大喜びだった。毎日開店時間前に店の前で行列ができていた。「みんなして餃子餃子って呆れたものだ」と別段餃子が好きな訳でもなかった私はいつも王将の前を通りながら冷ややかな目で見ていた。

そんな私が餃子とビールの相性に気づいたのは、ツンデレの幼馴染がようやくデレ始める展開くらい遅かった。しかもそのきっかけは「ワカコ酒」のドラマを観たことである。

ワカコ酒」といえば女の子がうまそうにお酒を飲むことで一世を風靡した美食漫画であるが、漫画のファンだった私は律儀にドラマ版もチェックしていたのだ。ドラマ版に関しては賛否両論あるだろうけれど、食べ物のうまさを表現するという点においてはやはり映像の方に軍配が上がる。

友人の家でお酒を飲みながらたまたまそのドラマの餃子の回を見ていたところ、あまりに餃子が食べたくなってしまって、王将まで走ったのを憶えている。

ワカコ酒 DVD-BOX(4枚組/本編Disc3枚+特典Disc1枚)

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 そんな私が上京して、東京には王将以外にも沢山美味しい餃子屋があることを知り、休日の昼間などは餃子を食べに出かけたいと思うことがしばしばあるのだが、なんせ私はお金がない。いつも餃子屋の前を通るたびに目を伏せて、頭の中に浮かんでくるあのこうばしい香りとビールの喉越しを必死でかき消して、通り過ぎるほかなかった。

ところが昨日、いよいよ餃子を食べたい気持ちが抑えられなくなってしまい、けれどもお金がない……。そうしてあることに気がついたのだ。

「自分で作ってしまえばいい」

レシピは調べれば簡単に出てきたし、具材をこねて皮に包んで焼くだけだという事実を知り、これまで勝手に上がっていた餃子づくりへのハードルが一気に下がった。

早速取り掛かることにする。

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仕事を辞めたらすぐにハロワに行かないと後悔する

私は今年の始め、仕事を辞めた。しかし、役所の手続きや引越しの準備に追われて疲れていたのもあり、ハロワへ通い始めたのは退職からおよそ一ヶ月後であった。結論から言うと、そのせいで、20万円以上の大金を損してしまったのだ。

「ハロワなんて使わずに就職するから関係ない」

と考えている人は、大きな思い違いをしている。ハロワは単なる職業相談の場に留まらないのだ。ハロワを利用しようがしまいが、まずは必ずハロワへ行くべきである。国は、私たちにお金を払わせようとあらゆるところで目を光らせているが、逆に、私たちがお金をもらえるという場面にあたっては、向こうからは何の報せも寄越してくれないのだから。ずるいシステムだが、「法律で決まってますから」と言われれば、役所の人に何を言おうがどうにもならないし、私たちは出来る限りの予備知識を持って物事にあたるしかない。

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noteで小説を書くのが楽しい

noteというサービスをご存知だろうか。まだ数年前にできたばかりなのだが、これだけ情報が氾濫する社会の中で、シンプルにクリエイターが写真でも音楽でも文章でもなんでも投稿できるというサービスである。noteには投げ銭システムがあり、それで大儲けしている人もいるらしい。お金絡みの話で、最近少し悪い方で話題になることがあるnoteだけれど、私にはあまり関わりのない話なので気にかけていない。

私がnoteを始めたのは一年半ほど前で、Twitterのフォロワーさんがたまたまやっているのを見かけて自分も登録してみたのだ。まったく使い方が判らなかったが、シンプルな画面と、人の少なさが心地よくて、なんとなくツイッターとブログの中間のような使い方をしていた。

noteにはTwitterでいうところのふぁぼ(いいね)や、はてなでいうところのスターのような機能がある。「スキ」というものだ。この「スキ」というのにキュンとしてしまって、私はnoteが好きになった。

私はnoteでポエムを書くようになった。酔っぱらうと私の指先は訳もなくキーボードの上でタップダンスを踊り始めるのだ。そんなときに書き散らした文章を、ブログに載せるのも迷惑だし、Twitterに載せるには長すぎるし、まさかFacebookやLINEに晒す訳にも行くまい。私はnoteを酔った時の感情を吐き捨てる場所として使うようになった。noteは私の精神安定剤だった。ときどき誰かが「スキ」をつけてくれるのが嬉しくて、ますます酔っぱらう夜が続いた。

さて、そんなnoteでは、密かに小説界隈が盛り上がっている。ネットで小説を発表する場として、ブログもpixivも小説家になろうも、私にとってはしっくり来ないものだった。ブログで書くには、なんだか周りとの空気感があまりに違いすぎるし、pixivも、やはりイラストがメインというイメージが拭えない。小説家になろうとかそれに似たようなサイトは閉鎖的だし、投稿されている数が多すぎてなんだか開くのが億劫になってしまう。第一、ネットで発表される小説は、いわゆるラノベ系統のものが主流で、私のような果たして小説とも散文詩ともつかないタップダンスの足跡は、発表なんてするべきでなくパソコンに眠らせておくのが賢明だと思えてしまう。

だからnoteにした。なんだかnoteの人はみんな優しいのだ。空気感がとてもよい。書くのが好きで、読むのが好きな人たちが集まっているのだろう。誰にあてるでもなくnoteでひたすら詩作にふける人を見つけたりすると、私は舌なめずりをする。

今、noteで行なわれているショートショートフェスティバルというイベントが面白い。2000文字以内の短い小説を発表しあうというものだ。私も参加してみたのだけれど、それを通じてこれまで知らなかった方を知ることができたり、逆に何人もの方にフォローされたりして、小説が好きな人がnoteには沢山集まっているのだと改めて思い知らされた。

note.mu

このイベントも、別に運営がやっている訳ではなくて、noteで作品を発表しつづけている海見みみみさんという一人のクリエイターの方がすべて管理されている。おまけに参加した作品はすべて同人誌にまとめるのだという。自分の書いた文章が紙に印刷されるというのはそれだけで嬉しいものだ。思わず注文してしまった。これだけ多くの方の文章をまとめて読める機会というのはそうそうないものだし。

ネット上では、音楽や動画、イラストと比べて、小説というのはやはり盛り上がりにかける部分があるけれど、こうしたイベントを通して、文章を書く楽しさや読む楽しさに気づく人が少しでも増えたらいいと願うばかりである。

 

ちなみに私は二作品投稿してみたのだけれど、どちらも酒と煙草と失恋の香りのする話になって、自分の引き出しの狭さにかなしくなってしまった。

note.mu

note.mu

社会復帰を果たして最初の一週間が終わった

金曜日の夜だ。最高の瞬間だ。この感覚を味わったのは数ヶ月ぶりである。地元にいた頃はいつも金曜日になると私は浮き足立っていた。帰ったら友達とお酒を飲めるからである。仕事中でもどんなお酒を飲むかとかどんな料理を作るかとかそんなことばかり考えていた。もっとも金曜日でなくても、お酒自体は毎日のようにひとりで飲んでいたんだけれど。

私にとって労働とは、賃金をもらうために仕方なくすることであった。一日のほとんどを奪ってしまう不自由の最たるものだった。世間から身を隠すためのむなしい鎧であった。だから私は働かなくて済むのなら永遠に働きたくなどないと思っていたし、日がな一日パソコンの前にいたり本を読んだり文章を書いたりときどき散歩に出かけたりして、それで暮らしてゆけるならそんなに幸せなことはないと思っていた。だけどそれを叶えるためには私のブログから得られる収入では到底足りそうもなかった。そんなもの国民健康保険料を払えばすべてなくなってしまうからだ。

そういうわけで私は地元にいるあいだ、別段興味もないような仕事をしていた。慣れてしまえば楽な仕事だった。休みも多かったし、残業などまったくなかった。仕事中にラブホテル街に営業車を停めて昼寝をしていたこともある。だけど給料は安かった。生活がとても成り立たなかった。働けば働くほど私の貯金は少なくなっていった。危うく破産する直前で私は仕事を辞めたのだ。

次に就いた仕事は倍の給料がもらえた。だけど今度はきつかった。暇な仕事ほど苦しいものはないと思っていたけれど、そこで勤め始めて考えが180度変わった。少しでいいから休みたい、もう解放されたい、そう思いながら私は耐え抜き、前よりずっと沢山もらえたはずの給料はストレスによるやけ食いと引越し資金とで泡沫のように消えた。

この世でいちばんいいのは楽で給料が高い仕事だ。次にいいのは楽で給料が安い仕事か、あるいは大変だが給料が高い仕事。これは人によってどちらを優先するかが変わってくるだろう。最後に、大変だが給料も安いというおそろしい仕事が続く。そうして私はずっと、楽で給料がたくさんもらえる仕事にばかり目が行っていた。そんな仕事あるはずないと思いながら、周りの人間にもある程度妥協を覚えることを諭されながら、やっぱり自分の人生をあきらめきれないでいた。周りの友達はなぜか楽で高収入のやつが多かったし、それを聞いて爪を噛むばかりの日々だった。

ところが私は気付いたのだ。世の中でいちばんいい仕事は、楽で給料が高い仕事などではないということに。いちばんいいのは、「楽しい仕事」だということに。それはどんなに楽な仕事よりも、あるいは働かずに親の脛を齧り続けているニートよりも、貴いものだ。どんなに楽な仕事だって、どうせ労働時間中は少なからず拘束されているもの。どうせ一日の半分以上拘束されるんなら、それが楽しいに越したことはない。それが自分の人生を豊かにすることに繋がるに越したことはない。そんな甘い話があるものか、と人は言うだろうけれど、「楽しい」という定義も感情も、人によって違うものだからこそ、自分に合った仕事さえ見つければ、きっと明日はあかるくなるはずだ。単純に楽なだけの仕事というならば、そのポストを多くの人が争うかもしれないが、「その人にとって楽しい仕事」であれば、それは、人の数だけ世の中に存在しているのだから。捨てる神あれば拾う神ありという感じで、不思議なほどに人生は流れ着くところへ流れ着いてしまうものである。私は終わったはずの青春を思い返すばかりの灰色の日々を越えて、ようやく労働というものに一筋の光を見出すことができそうだ。

文芸フェスで夜の丸の内へ行ってきた

風のさわりが肌に優しくなり始めた早春の宵、ようやく社会復帰した私は久しく終業後の心地よい気だるさを引きずりながら、中央線の上り電車の混み合う車内へ乗り込んだ。向かう先は東京駅丸の内ビルディング。今宵はなにやら文芸フェスなるイベントが行われるというのだ。

東京の人は贅沢である。こうした素敵なイベントが、夜な夜なそこいらで行われていて、簡単に足を運ぶことが出来るというのだから。

登壇するのは小説家の川上未映子さんと、イーユンリーさんという海外の作家であった。実は私はふたりの作品をまったくと言って良いほど読んだことがないのであった。川上未映子さんの作品であれば図書館に行った折に数冊パラパラとめくったことがあるが、腰を据えて読んだという記憶はない。ただ私は美人作家を生で見たいというみだらな発想でもってわざわざ慣れない都会の真ん中へ赴くことを決めたのだ。

というと少し道化が過ぎるだろうか。実際のところ、対談のテーマである、翻訳によって文体やリズムはどこまで届くのかという話に興味を誘われ、ひと月ほど前、まだニートだった私は軽い気持ちで参加予約を申し込んだ訳である。

仕事の都合で途中参加となってしまったのだが、イーユンリーさんという方は英語で話されるため、入り口で同時通訳用のヘッドホンを渡されて、そんな経験もちろん初めてだった私は、何やら間違って国連会議にでも迷い込んでしまったのかと思い気おくれしながら会場へ入ったのだった。

内容については私のような無学な人間が口を挟む余地もなかったけれど、例えば川上さんの言う、文学における翻訳は単なる言葉の意味をたどるばかりではなく、時には文脈が変わったり全く遣われていない言葉を遣われることがしばしばあり、それは自分がその作品を読んで得られた体験を、どうにか別の言語でぴったり表そうとした結果なのだという考えには、翻訳者の方のもどかしさを感じられた。私は滅多に海外文学を読むことがないんだけれど、それは翻訳なんて所詮作り物だという偏見を持っていたからに違いない。文体至上主義の私には、書き手の肌ざわりがじかに感じられないであろう海外文学は、どうしても敬遠されたのだ。どうにもあいだに翻訳者を挟むことが、ひとつの壁を作ることのように思えたのだ。しかしそれでは字幕の映画しか見ないと言い張る偏屈な大学生と変わりない。声優も翻訳者も、単なるボイスチェンジャーや電子辞書のような機械ではなく、それぞれが職人としてむしろ原作を越えようとさえもがいて作品づくりに臨んでいるはずなのだから、そこに優劣という概念を持ち込むのが甚だおかしい話である。

また御二方は創作にかかるにあたって、どんな話を書こうというテーマをはっきりと決めてしまわないのだという。それをイーさんは地図を描く行為だと喩えていた。行き先の決まった運転より、どこへ行くか分からないドライブの方が楽しいものが出来るに決まっていると。それは全くその通りである。私のような人間は、久しく労働者と名乗る権利を取り戻して、立ち寄った東京駅八重洲口から少し歩いたところのネパール料理屋で、名も知らぬビールやらラム酒やらを流し込み、明日のことすら考えられなくなるほどに思考の回らない状態で、書き始めと書き終わりすら何も決めずにこの文章を書き出している始末である。考えずに書いて何か煌めかしいものが生まれるならば、それがいちばんであるが、そんなことができるのはきっと天才と呼ばれる方々のみで、私はそれに該当しない単なる文字叩きの酔っぱらいであるから、何ら関わりのない話だったのかもしれない。

さて、私のもっとも知りたかったことといえば、文字書きとして一流な彼女らが、推敲の猶予さえない、この生の現場において、果たしてどのような話を展開できるのかということであった。要するに文章が面白い人は喋りも面白いのかということだ。特に川上さんなんて文体のリズム感が音楽的だなんて言われるくらいだから、きっとポンポンと息をするように詩を生み出している人なのかと思ったら、案外普通のねーちゃんといった面持ちで上品に受け答えを済ませているものだから拍子抜けした。

やがてイベントが終わり会場の外では御二方の作品が沢山売られていて、そうして売れていた。私は買わなかった。なぜならお金がないからだ。お金がないのに本を読むというのは、パンがないならケーキを食べるというくらいありえない話で、誰にも理解され難いであろうから、せめてこのひと月の生活がうまくいき、給料というものを手にしたあとで、本屋にでも足を運ぼうかと思う。

 

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すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫)
 

 タイトルが素敵だから一度読んでみたいと思っている。

妹が女子高生じゃなくなってしまった

春はかなしい季節である。制服姿の学生が、卒業証書片手に歩いているのを見ると、決して何にもなかったけれど、なぜだか心にいつまでもわだかまりつづけているあの青春のころを思い出して、毎年のごとくに私は胸を痛める。

三月は私には無関係の、全国の中高生が別れに涙するだけのあっけない春の日にちがいなかった。しかし今年は妹がその当事者であったから、目をつぶって通り過ぎてしまえばおしまいという訳にもいかない。もちろん私はひとりで上京した身だし、明日の晩御飯にも困っているような有様だから、淋しくも彼女が巣立つ姿を直接目にすることはできない。だからせめてと彼女の写真を一枚送ってもらい、彼女が当たり前に三年間身につけていた、見慣れたはずの制服姿が、私が家を空けた隙にもう陽の当たらない箪笥の隅で、二度と取り出されることのなくなってしまうという逃れようのない事実にひとりふるえている始末である。

妹はひどく涙したらしい。彼女、案外涙もろいのだ。普段はつめたい女を気取っている癖して、心のうちでは熱いのだ。私の方がよっぽどつめたいだろう。私は卒業式などで一度だって泣いた試しがない。斉藤由貴の歌っていた通りだ。

あの日、卒業式のあと、下駄箱で脱いだ上履きをビニール袋に仕舞い、少し向こうで私を待っている両親の方へと照れくさそうに歩いて行った。桜はまだ満開には遠かった。父親の運転する車に乗って、滅多に行かない中華料理屋へ行き、チャーハンを食べた。私の制服のボタンはすべて欠けないままだったし、奇跡のような放課後のロマンスもなかった。天井に吊り下げられた小さなテレビで流れるワイドショーを見ながら、かしこまった服を着た両親と、いつもと変わらぬふりをした私とで、白く止まった名前のない時間を過ごした。

人生のうち、たった三年間。たった三年間の中学時代が、何故だかその後のもう指折り数えるのさえ億劫な長い長い季節を越えて、なおも鮮明に思い起こされるのは、歪んだ形であれど、こんな私にとってさえ特別な期間だったからであろう。妹にしてみれば高校時代の三年間も含めた、計六年間が、紛れもない青春であったはずだ。青春の熱量はすさまじい。人は生まれたときから青春を追いかけて、そうして死ぬまで青春を引きずってゆくものなんじゃないだろうか。不思議とそれが心の中で大きく膨らみ始めるのは、何もかも過ぎ去って、二度と手に入らなくなってからのことであるから、報われぬ恋文でも書いてこの想いはどこか菓子箱の中にでも仕舞っておくしかない。

妹も今、あの頃の私のような気持ちでいるのかもしれない。彼女は人生で初めて髪を染めた。美しすぎた長い黒髪はありふれた街の風景になってしまった。人々に埋もれながら、上手に大人になることを彼女は選んだのだ。きっと彼女なら、最後に流した涙の痕もすぐに乾いて、どうか青春と折り合いをつけて生きてゆくことだろう。

 

スクールガール・コンプレックス SCHOOLGIRL COMPLEX 3

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