悲しい恋の歌を聴きたい夜もある
幸福より憂鬱が酒の肴になることは間違いない。今夜も私はビールにウイスキー、それでは飽き足らず安物の焼酎を煽りながらネットサーフィンに明け暮れている。それも悲しい恋の歌ばかりを探し求めて。暗い気分に浸れるのは、酒飲みにとって至福の時間である。騒ぎながら誰かと酒を飲むのももちろん楽しいが、ひとり沈んで酒を飲むのも上質な時間にはちがいないからだ。
そんな私の気分をどんな色からでもブルーに塗り替えてしまう、ほどよくアダルトな曲をいくつか紹介したいと思う。決して自殺願望が芽生えるような陰鬱とした曲ではなく、割に軽やかな曲調の中で悲恋を歌っているからこそ、心がすっと攫われてゆくものだ。
ロング・バージョン / 稲垣潤一
さよなら言うなら今が
きっと最後のチャンスなのに
想いとうらはらな指が
君の髪の毛かき寄せる
愛していない女を愛することのむなしさを表現した曲である。さよならを言うのは決して簡単なことではない。さよならを言うということは、自分が悪者になることへの片道切符であるからだ。人はどうしても傷つくことを先延ばしにして、明日の自分に何もかも託してしまう。けれどもそれは、いつか来る終りの時の悲しみを、一層深めるだけの行為である。分かっていながら、人は強くなれない生き物なのだけれど。
埠頭を渡る風 / 松任谷由実
正面を向けない恋を、吹き抜ける風のような曲調に乗せて歌った一曲である。
ユーミンの曲の中では、いちばん好きな曲である。
地元にいたころ、行きつけの料理屋でよくかかっていて、思わず耳を傾けたのを憶えている。
スタンダード・ナンバー / 南佳孝
薬師丸ひろ子の『メイン・テーマ』というタイトルの方が、一般的には認知されているかもしれない。彼女の曲が女性目線で歌われているのに対し、この曲は男性目線になって一部歌詞が変わっている。昔はこうしてアンサーソング的なものが度々作られる時代だった。遊び心が効いていてとても好きだ。
女性バージョンが、いわゆる悲劇のヒロインであるのに対し、男性バージョンはさらりとかっこつけて歌い上げている中に、その女性の傷心に気づきながらも気づかないふりをしているという、どうにも救いようのない仕上がりになっている。悲しみを表現できる人は強いのだ。悲しみを誰にも打ち明けられない人の方が、きっといつでも辛い思いをしている。
恋人も濡れる街角 / 中村雅俊
歌詞とメロディーのセンスが、もうこの上ないほどに絶妙で、こんな曲を作ってくれたという事実だけで私は身悶えして雨上がりのアスファルトでばたばたと寝そべりたい思いである。
エロティックな歌詞のあいだに、失恋した孤独な男を描いている。
さらばシベリア鉄道 / 大瀧詠一
大瀧詠一の声はカクテルのようだ。爽やかさの中に、甘さ、酸っぱさ、ほろ苦さがあって、おまけに海の色をしている。
大瀧詠一と松本隆のコンビは、売れ線でありながら詩的な曲をつくるから反則だ。
裏切りの街角 / 甲斐バンド
甲斐バンドの代表曲。このころがいちばん甲斐よしひろの声が乗っている気がする。目をつぶれば雨の街が浮かんでくる、珠玉の一曲。
全部、君だった / 山崎まさよし
昭和歌謡至上主義な私は、最近の曲なんて全部クソだ、特に歌詞がクソだ、と仄かに偏見を持ち始めていたんだけれど、中学生のころにハマっていた山崎まさよしの曲を聴き返してみたら、まるで文学のような美しい歌詞の世界にどっぷりと浸ることができた。
淋しさを表現するのに、研ぎ澄まされた表現はやはり必要である。
さて、今夜も酒がうまい。
憂鬱を共有したい人は、いつか一緒に飲みましょう。
ちなみに、ここに挙げた曲の半分くらいが、私のカラオケのレパートリーだったりする。