或るロリータ

A Certain Lolita

故郷から東京へ戻る飛行機で、昼と夜の隙間を見た

今年の夏は、いつにも増してあちこちへ旅に出た。そう言いながら、例年どこかへ出かけている気がするが。

初めて足を踏み入れた四国の地や、水色の瀬戸内海。棚田祭りや風鈴市、ひまわり畑など、夏を象徴するにふさわしいシーンは数え切れないほどあった。お陰で私は九月に入った今もなお、夏という要素をつめこむだけつめこんだ壮大な映画を観せられたあとのように、まだ感情の処理が追いつかないまま肌寒さに上着だけを羽織っている。

クーラーのいらなくなった土曜日の昼間に窓を開けると、心地よい風とともに物悲しい蝉の独唱が流れこんできて、ようやく別れを実感する。「そうか、夏は終わったんだな」と。

夏の終わりは決まってセンチメンタルである。蒸し暑い真夏日に仕事で延々東京の街を歩き回っていた時は、ぬぐってもぬぐっても流れてくる汗に不快きわまりなく、「もう少しくらい涼しくなってくれないかな」と願っていたのに、いざ朝夕の風がひんやりし始めるとすぐにこれだ。きっとその向こうに見え透いている秋、そして冬の気配が、陽気な日々の終幕を予感させるためであろう。

夏の終わりに焦りがつきものなのは、夏だから何かしないといけない、そう思っているからだ。夏には、何かしないといけないと思わせる魔力があるのだ。そうして大抵の場合、何もできずに終わってしまう。海やお祭り、ビアガーデンや高校野球観戦と、夏にふさわしいイベントは確実に消化しているはずなのに、それでも人は満足できない。夏は必ず未完成のまま行ってしまう。来年に向けた課題を残して。

夏は別れた恋人のようだ。悪いところさえ恋しく見えてしまう。楽しかった思い出とともに、もっとああしておけばよかったなんて、自省をくり返す。毎年毎年、そこまでを含めて夏の恒例行事みたいになっている。そりゃ、センチメンタルになるのも無理はない。夏は魔性の女なのだから。

そうして今まさに魔性の女に苦しめられている最中の私が選ぶこの夏の一枚は、故郷から東京へ戻る飛行機の中で偶然撮影した一枚である。七月の始め、世間が夏休みを迎えるより一足早く、私は故郷へ向かった。夏の田舎はいいものだった。家族や旧友に会い、ゆるやかな時を謳歌した。だから、私はいつも、帰りの飛行機では疲れ果てて眠ってしまう。今回も例に漏れず私はハット帽を深くかぶり、座席で夢の世界へと落ちたはずだった。

ところがふとした拍子で飛行中に眠りから覚め、窓の外に目をやった瞬間、あまりの美しさに息をのんだ。眼下にうつる街はすっかり夜の体裁で、黒い大地に無数の灯りがちらばっていたけれど、視線を上げてみれば、そこには夜と夕暮れと青空の混ざりあったような、なんとも言えぬ神秘的な風景が広がっていた。空との距離が近いためか、その色は地上から見るよりずっと濃艶だった。

まさに、昼が逃げていく後ろ姿をとらえたようだった。夜の果てでは、こんなに美しい逃亡劇が繰り広げられていたというのか。母親の宝石箱をそっと開けて覗きこむような気持ちで、昼と夜の隙間を見た。ほんのわずかな時間であっというまに夜に食べられてしまったが、その儚さが、めまぐるしく過ぎた私の夏を飾る一枚にふさわしいのではないだろうか。

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今週のお題はてなブログ フォトコンテスト 2017夏」

 

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「選ばない」という選択をやめた20代前半

私は何かを選んだことがない人間だった。生まれた田舎町でそのまま育ち、親や友達ともそれなりに仲良く、喧嘩をすれば普通に落ち込み、与えられた幸福には素直に喜ぶ少年時代を過ごした。だが、一歩間違えば、私の少年時代はもっと悲惨なものだっただろう。なぜなら、私は生まれ育ったステージから一歩も動くことなく、幸福も不幸も、みんな当たり前のものとして受け入れていたのだから。

恋においてさえ、それは同じだった。初恋というものは往々にして淡い思い出のまま終わってしまうものなのかもしれないが、それは人生において一度きり、初めてのことだから許されるのだろう。村下孝蔵風に言うならば、「遠くでいつも君を見ていた」だけの、そんなやり方の恋をおよそ十年あまりも続けて、いっさいの経験値も得ることなく、私は青春時代における一大事業、「恋」を見事にスルーしてしまったのだ。

恋だけならいいだろう。進路においてもまた、私は何も選択しなかった。

地元の幼稚園からそのまま同じメンバーで小学校に入学し、中学もほとんど変わらないメンバーのまま過ごした。だから改めて友達など作る必要もなかったし、私は自分が当然社会に出てもやっていける人間だと信じて疑わなかったのだ。まるで生きてさえいれば神様が立派な大人というものに仕立て上げてくれるとでも思っていたように。

高校受験は、少し悩んだ。それは将来自分がどうなりたいとか、そんなまともな理由ではなくて、同郷の友達とばらばらになってしまうこと、知らない人の方が多い環境で新たな生活を始めることへの不安からだった。ああ、そのままエスカレーター式にみんな同じ高校に行って、そのまま同じ会社に就職できればいいのに。幼稚園のころの自分に問いたかった。「友達って、どうやって作るんだっけ?」

結局私は勉強をするのが嫌だからという理由で工業高校へ進学した。そこでどういった技術を身につけて、どんな仕事に就きたいとか、そんなことはいっさい考えずに。たった三年後の話なのに、遠い未来の話だと先送りにして、目をつぶっていたのだ。

それから暗澹たる高校時代をなんとか乗り切って、卒業を迎える。就職だ。そのころ、新卒で就職した会社には基本的に一生勤めるものだと思っていた。私の住む田舎ではそうだった。新卒が重要なことには変わりないが、それが都会での認識とだいぶちがう。転職なんてよほどのことがなければ考えないし、いざ転職したとしてもそれはよくない理由によるもので、さらに条件のよい会社へ移れる可能性などないという認識なのだ。(もちろん、進学などで県外へ出たものはその常識のずれに気づくはずだ)

つまり、結婚してマイホームを建てて、子供を育てることを目標とし、少しでも条件のいい大企業へ入るために高校で必死に成績を上げ、さらにいえばレベルの高い高校に入るのもそのためで、実は中学のテスト勉強もみんなそのために頑張っていたのか、あの頃からみんな将来を見据えていたのか、と驚愕した。テストは順位を上げて親にお小遣いをもらうためのものではなかったのだ……。

と、その頃になって気づいても後の祭りで、というより別にそれが対して重要なことだとも思わず、就職間近になってさえ、私にとってそれはいつか描いた「将来」ではないのだった。将来っていつ来るのかなあ、そんな風にのんきに考えながら、またもや軽い気持ちで大して仕事内容もわからない地元の企業へ就職してしまう。

その企業で数年間働くうち、私はようやく気づいてしまった。「あれ、人生ってずっとこのままの感じで終わるんじゃね?」

それもそのはず、片田舎でつまらない仕事をして安い給料をもらって、定時に帰社して金麦を飲む毎日から、どうすれば政治家とか野球選手とかクリエイターとかいうパッとした職業になれたり、素敵な恋人ができて幸せな家庭を築けたりする未来が結びつこうか。誰が導いてくれようか。

「何も選ばない」。それを繰り返した私の人生は、おそろしいほどに失うことの連続だった。およそ誰もが通るはずの青春という期間を経て、大切なものを失いまくっていた。二度と取り戻せないほどに。そして問題なのは、何を失ったのかさえ自分でもよくわかっていないこと。少なくとも子供のころに見ていた夢はとっくに失っていた。

そうか、選ばないって、楽なんだ。楽だけど、虚しい。あの時も、あの時も、みんな、勇気を出して選び続けていたんだな。その先にある幸せを自分でつかみ取るために。私は初めての「選択」にひどく恐怖した。責任が、こんなに重いものだなんて。

「実は、東京に行くことになりました。仕事を辞めさせていただきます。」

もう、戻れない。二十代前半。その責任の重さが、ちょっと嬉しかった。これからは、失敗しても、すべて自分のせいだ。だって私が「選択」したんだから。

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

 

 

棚田に無数の灯りがともる「ホタルかがり火まつり」で素敵な夏のはじまりを

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先日、秩父の方で行われた「寺坂棚田ホタルかがり火まつり」なるものへ行ってきた。コンセプトは「棚田を楽しむためのイベント」らしい。こんなに素敵なイベントを今まで知らずに過ごしてきたなんて……と少し悔しい気持ちになりながらも、これは夏開きにぴったりだと、カメラ片手に乗り込んできた。

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初恋が叶わなかったすべての大人に捧ぐ

昔にもどってやり直したい。そんなことばかり考えていた頃があった。まだ世間から見れば青春と呼ばれる季節に身を置いていた頃のことだ。

子供と大人との境目がはっきりと存在しているはずはなくて、人は段階的に大人になってゆくものだと思うけれど、少年時代の延長線上にあるはずの今の自分が振り返っても、なぜだかあの頃と今とが地続きにあるとは思えない。

過去の自分に対して「子供の頃」という形容を初めて使ったのは、中学二年生のときだろうか。私はそれまで自分自身が子供であることに何の疑いも持たなかった。親に守られ、実家の中であたたかく暮らし、毎日学校へ通う。そのことに不満も納得もなかった。それが世界のすべてだと思っていたからだ。

あるとき急に人と話せなくなった。それまでも授業中にクラスメイトの前で発表したり、好きな娘と二人きりになったり、特定の状況においては緊張して声がふるえることはあったけれど、決して毎日何かに怯えながら暮らすようなことはなかったし、自分の弱さを恥じながらも人と接することは好きだった。私はどこまでも目立ちたがり屋で、だけど目立つほどの度量もない自分が悔しくて、もがいてばかりいた。

そんな性格が災いしたのだろうか。あがり症の最たる原因は、「失敗するのが怖い」=「人に良く見られたい」というところにあると聞いたことがある。私は人に良く見られることにとにかく固執していて、人前で先生に褒められてクラスメイトから尊敬のまなざしで見られる瞬間がいちばん幸福だった。学校行事にはとにかくムキになって取り組んだし、何かあれば少しでも面白い発言をしようと努めた。クラスで人気者のサッカー部や野球部のやつらや、生徒会長を務めるような器のやつには到底敵わなかったが、それなりに自分を愛せるくらいの評価は得られていたはずだ。

だからこそ、中学生になってから、徐々に勉強や部活動の成績、それに容姿や流行へのアンテナといった、真っ当な部分に評価の軸が移り始めると、どこかで取り残されている感覚がし始めた。小学校のあのにぎやかな教室の中で、宿題を忘れるバカなやつ、給食を何杯もおかわりする太ったやつ、運動神経抜群の爽やかなやつ、計算だけは得意なやつ、やたらと字の上手いやつ、バレエを習っていて身体のやわらかいやつ、そういった多種多様なキャラクター達が集まった個性の許される空間、一側面だけで愛されるか否かが判定される単純な組織のあり方は終わりを告げたのだ。

大人になればなるほど人は総合点で評価されるようになって、それは私にはひどくつまらないことだった。周りと同じ基準をクリアしつつ、その中でわずかな個性を飾りつける。それが上手な生き方とされ、さらに恋愛というものが遠いメルヘンからいっぺんに明るみに出て、それ以降恋愛が生涯を通して課される大きな宿題となる。

小学生の頃、私には好きな女の子がいた。近しい友達以外には公言していなかった。なぜなら小学生時分の、特に男子にとって、女子はいわば敵対する存在で、女子と仲良くするだけで指をさされるものだったからだ。今思えばそこには嫉妬に近い照れ隠しのような、巨大な同調圧力が働いていたのだろうが、とにかくその頃の私にとって好きな女の子がいるなんてことは、口が裂けても認めてはならないことなのであった。

だからその娘と二人きりで逢ったときには、いけないことをしている気持ちになって、だけどそこには確かによろこびがあって、だけどそれは背徳感のまじった甘苦いよろこびで、だから周りの友達に対して優越感も何もなかった。それが中学になった途端、今度は「恋人の有無」が一気に最強のステータスになり、これまでひた隠しにしていた恋心は、打ち明けても構わないものとなった。だが、長年に渡り無理矢理に心を押さえつけて過ごしてきた少年が、急に自分の恋心との付き合い方を変えられるものだろうか。彼女との関係に何かしらの進展を起こしたいと思いつつも、その術がわからず、相変わらず私は「女子と話すことが恥ずかしい小学生」という忌まわしい貨物を積んだまま、青春という長いトンネルに突入した。

中学一年生のあいだは、同じ学年の中で恋愛関係に発展する者もほんの一組二組で、そのたび学年じゅうのニュースになって、羨望の混ざったひやかしの目線の方が強かった。二年生になるとカップルの数も増えて、もちろんそうでない者の方が多数派ではあったのだが、どこかに感じている劣等感のためか、色恋沙汰をからかう声は少なくなった。そして三年生にもなると、恋愛経験の有無で確実に差が出てくる。未経験の者は、「そもそも付き合うってなんだろう?」「あいつらは付き合ってどんなことをしているのだろう?」そんな疑問ばかりで勉強も手につかず、何もかもが未知の世界のまま身体だけが成長してゆく淋しさにうろたえる。一方で既に特定の相手のいる者は、もはや初めて出来た恋人の存在というものに浮かれるだけの期間を経て、次に将来のことを考え始める。すぐに結婚という言葉を持ち出すのはまだ中学生らしいと微笑ましくなるかもしれないが、一度くらいそうして責任の所在を自分の中にも感じることのできる経験というものは、必ず人を強くするものだ。

その時期になると、仮に手を繋いで歩くふたりに口笛でも吹こうものなら、「何子供みたいなことやってんだ……」と呆れられることは必至で、大人になる方法も分からない者の前で、大人になるための準備に頭を悩ませている者もいるという極端な構造が完成する。もちろん私は前者だった。

昔にもどってやり直したい。もっとも強くそう思っていたのはこの頃だろう。「中学生ごときで何そんなこと言ってるんだ」そう思われても仕方がない。現にその頃親からよく「人生まだ長いんだから、悲観する必要はない」なんて言われていたし、今思えばその通りなんだけど、それでもいちばん時間を巻きもどしたかったのがあの頃だということは変わらない事実である。

幼稚園か、せめて小学生にもどれたらいいのに。いつもそんなことを思っていて、でも、もどれたら何をやり直したいかというと、それは勉強でも運動でもなく、好きな娘との関係だった。どこかの分岐点で別の道を選んでいたら、きっと今あの娘が隣にいて、私だけに微笑みを向けてくれていたのだろう、そんなありもしないことを考えては憂鬱にベッドに沈み、高校に入る頃にはもう、私はすっかり青春を捨て去った人間になったつもりでいた。

もどりたい。けど、もどれない。それがいちばん辛かった。私が欲しいものはお金でも名声でも大企業への就職内定でもなく、過去へもどることなのだから。そして、それはどうしたって手に入りっこないってわかっていたのだから。

孤独に磨耗されながら私は高校を卒業した。それから就職して、流石に初恋の思い出なんて薄れてしまったが、やはりどこかに「もどりたい」という思いはいつもあった。

だが、最近、「もどりたい」と思う回数が極端に減っていることに気がついた。強いて言えば、故郷にもどりたいと思うことはあるが、過去にもどりたいと思うことはほとんどない。仮にもどったとして、今の状況と同じか、もしくはそれ以上の状態に持っていくために、また同じような努力をして、同じような選択肢を間違えないように選び続けて、そんなこと考えていたら途方もなくて、とてももどってやり直す気になどなれないのだ。本当はもう、もどりたくなんてないのかもしれない。

私が欲しかったのは、あの娘自身ではなかったのだ。私が欲しかったのは、何かをやり遂げたという感覚。引きずっていると思っていたのは、あの娘を手に入れられなかったことではない、何もせずに終わってしまった自分への不甲斐なさだ。後悔は消せないものだと思っていた。確かにそうだ。だが、やり直せない思い出の上から、やり直したくない思い出を上塗りすれば、もう過去になんてもどれなくなる。前に進むしかなくなるのだ。私は知らず知らずのうちに、そういう道を歩んでいたのかもしれない。

今、魔法が使えたなら、私はもうあの頃になんてもどらないだろう。そんな大層な魔法なんて、使おうにも手遅れなのだ。それでも何か魔法を使うとすれば、出口の見えないトンネルの中でもがき続けていたあの頃の自分に、一言だけこう伝えたい。「未来はそんなに悪いものじゃない。安心して悩んでいいよ」と。

 

 今週のお題「もしも魔法が使えたら」

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オンとオフが切り替えられない人生になってしまった

なんて言うと、大袈裟すぎるだろうか。しかし、近頃の私の悩みといえば、ほぼそれに尽きるといってもいい。中学生以降、私は学校なんて行かなくて済むなら行きたくないと思うたぐいの人間だった。部活も勉強も、趣味でさえ、一筋で打ち込むということを知らずに育ち、そのまま大人になってしまった。だから、会社だって行かなくて済むなら行きたくないという気持ちは今も変わらない。

それなのに、私の生活ときたら、まるでそんな不良人間とは真逆の、労働一色である。なにも会社に忠誠を誓ったいわゆる社畜というわけではないし、かといって生業や生きがいという言葉を使うにふさわしい昔ながらの仕事の鬼と呼ばれるのも的外れだ。それなのに気づけば私は寝ても醒めても仕事のことを考えていて、もはやブルーマンデーに突入したこの絶望的午前三時にさえ、風呂上がりの火照った体で文章を打ちながらもなお、頭の奥底では仕事のことがこびりついて離れない。それどころか頭を空っぽにするために浸かっていたはずのバスロマン入りの湯船にいてさえ、私は仕事のことを考えていた。無心に歯磨きをしていても、頭を洗っていても、深呼吸をしてみても、私の心はスーツを脱がない。

考えようとして考えているわけじゃない。むしろ、考えないように努めている。考えないように努めすぎて、かえって意識してしまっているのか。なんという悪循環。首元に脳波を切り替えるスイッチでもついていればいいのだけれど、楽しい遊びの予定を立てようにも、次の同人誌の小説のテーマを考えようにも、知らず知らずのうちにまた仕事の案件に頭を悩ませている自分がいる。

私の頭の中のラジオはいつもチャンネルが狂っている。どんなに周波数を合わせても混線してくる外国の電波みたいに、四六時中ワーキングマーチが流れ続ける。「あの件は本当に大丈夫か?」「スケジュールは間に合うのか?」不安の化け物が拡声器越しに脅してくる。オールナイトどころか年中無休でマシンガントークは鳴り止まない。

疲れているのだろうか。たまには仕事を休んで家でだらだらしてみたり、どこか温泉旅行に出かけてみたり、いっそ南の島にでも行かなければどうにもならないレベルかもしれない。私の頭に常にあるのは「失敗したらどうしよう」という言葉。悲しいことにこれが教訓のようにどこまでもつきまとってくる。すべての結末を見届けるまで、どうにも安心できない人間らしい。自分ながら厄介だ。

私は夏休みの宿題を最後まで少しだけ残しておく子供だった。得意な科目や、簡単に処理できる宿題だけ夏休みの初日のうちに一気に終わらせ、そこですっかり安心しきって、重大な問題からは目を背けつづける。そのためいつもどこかでその問題が重荷になって、結局何に対しても全力で楽しめなくなる。無論、その問題は八月三十一日になれば否応無しに泣きながら片づくわけであるが。

しかし、仕事となるとそうはいかない。宿題のように、済ませれば終わりではないからだ。今の仕事を片づけたところで、私に長い夏休みは与えられない。生きるためには自ら宿題を探し、宿題をこなし、また宿題を探さなければならない。終わりがあるとすれば、それは仕事をやめるか、人生をやめるときである。

だったらやはり私は「やり残した宿題があっても負担に感じない方法」を見つけなければならないのであろう。それが世の大人たちに課せられたもっとも正攻法な自己防衛手段である限り。私はその手段を一切身につけないまま、ここまで来てしまった。はじめは情熱だけでどうにか片づいていた問題も、なんの鎧も持たない精神がプレッシャーの風にさらされつづけるうち、次第に心身ともにほころびが見え始めた。

お酒に頼ってみたところで、忘れられるのは一瞬だった。すべてを忘れたいなら、体を壊すレベルでお酒を飲み続けなければならないだろう。かといって、薬に頼るわけにもいかない。私の脳内は決して陰鬱な事柄ばかりで占拠されているわけではない。ただ、この社会を生き抜くために用意した兵士の自分が、いつまでたっても武器を置くそぶりすら見せてくれないというだけだ。

好きなことを仕事にすると、好きなことが好きじゃなくなると聞いたことがある。私は決して夢を叶えたわけではないが、ある意味好きなことに少しだけ近い仕事をしている。それがそもそもの元凶なのかもしれない。まったく興味もない仕事をしていたころは、時計の針が定時を回った瞬間に、私は社会人ではなくなった。明確に自分が自分に戻る瞬間があって、次の朝まで社会人である必要などどこにもなかった。あれが幸せだったかといえばそれもまた疑問だが、人生は往々にして加減を知らない。どこまで行っても極端なものである。全力で仕事をすることなんて、実は簡単なこと。問題は、その先で、情熱を飼い慣らせるかどうかだ。情熱に手綱を引かれてしまっては、もはやそれは自分の人生ではなくなってしまう。

「仕事終わりの一杯」が、今の私にとっては「仕事終わり」なんかじゃない。永遠に仕事中の一杯なのだ。眠っているあいだは解放されるのかと思えば、そこにも自由はなく、夢の中にさえ仕事の記憶が侵入してくるのも珍しいことではない。

これが当たり前だというのなら、これが大人だというのなら、私は大人になんてならなくてよかった。歩きつづけることでしか足の痛みを紛らわせない百年単位のマラソンみたいに、昨日の私をかばいながら、今日も私は生きている。何も知らない明日の私に、すべてを押しつける夕暮れが待っていることを知りながら。

古道具店で見つけた中身の読めない「マスク本」にワクワクする

三鷹の小古道具店「四歩」をご存知だろうか。駅前の大通りを少し歩いて、ふと路地裏へ折れたところで、ひっそりと店を構えている。小さな店で、目立つ看板もない。しかし、店先まで行くとその異様な雰囲気に圧倒されてしまう。「この店には何かあるぞ……!」と。

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店先には家具や食器、洋服といった家財道具が並ぶ。家に置きたくなる素敵なアンティークの数々だが、値段もお手頃なのがまたこの店に通いたくなる理由のひとつだ。狭い通路では思わずぶつかってグラスを落としてしまうんじゃないかとヒヤヒヤしてしまう。だから、何も持たずにふらりと訪れるのがいちばんだ。

店内には文房具やアクセサリーといった小物が煌めいている。ひとつひとつ手に取っては迷い、迷っては戻し、一周してまた手に取り、隅々まで行き渡ったセンスに絡め取られてしまい、決して手ぶらでは帰れなくなる。

ちなみに店の奥はカフェになっているようだ。まだ利用したことはないが、いつも店先のレプリカを見るたび食欲をそそられてしまう。そのうちランチでも利用してみたい。

さて、その日私が発見したのは「マスク本」だった。

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文庫本にそれぞれ丁寧な包装が施され、中は読めないようになっている。表に貼り付けられているのは抜粋された数行のみ。知っている一文に出逢うと思わずにやりとしてしまうし、反対に「なんだこれ……こんな本があったというのか……」と思わされるような新しい出逢いもある。(それに一冊300円って普通に安い!)

ワクワクが止まらず、一冊一冊手に取っては眺めてしまう。そして、今回連れて帰ることにしたのはこの一冊。

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さて、何の本でしょう。

それにしても、手書きの文字ってそれだけでほっこりした気持ちになる。文学好きのお姉さんが一文字一文字丁寧に書いたのだろうか、などと想像を掻き立てられながら……。

家財道具、文房具、そして文学。とにかく新しい出逢いが欲しいとき、つい足を運んでしまう店である。そして訪れるたび、「四歩」はいつも私たちを裏切らない。

淋しいおさかな (PHP文庫)

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夜の映画監督だったあの頃

私はお酒が好きだ。三度の飯よりお酒が好きだ。むしろ、三度の飯はお酒の愉しみを引き立てるために存在しているといってもいい。

地元にいた頃、私は毎日のようにお酒を飲んでいた。平日は仕事が終わると、まだ陽も暮れないうちに缶ビールを開けて晩酌を始める。テレビを見ながら、ネットを徘徊しながら、時には何か作業をしながらも常にお酒を飲んでいた。私の晩酌はいつも長時間に及んだ。

そして、週末になると友達と集まるのが恒例だった。元々お酒が好きな友人と二人で飲み歩いていたことを発端とし、徐々にその仲間を増やし、はじめはお酒を飲めなかった友人さえ、気づけば日本酒をがぶ飲みして酔っぱらうまでになってしまったほどだ。ダメな大人は増殖しながら、金曜日の夜を明るくしていた。

時には繁華街へ飲みに繰り出すこともあったが、二十歳そこそこだった私たちは、もれなく貧乏にちがいなく、酒場に行くたび財布の中身がすっかり空っぽになってしまうことは避けられなかった。それに田舎住まいだ。最寄り駅すら存在しない車社会では、お酒というものは家で飲むのがスタンダートであった。

酒場で飲むお酒は高い。安い店でも家で缶ビールを飲むのと比べれば当然高くつく。だがそれは酒場という雰囲気そのものの値段が含まれているというのもあるだろう。家なら百円の金麦で乾杯できるところを、わざわざ酒場の狭い席で乾杯するとき、私たちは「今日は何もかも忘れるぞ」という自制のダムを開いて、楽しい夜のひとときを送るためのチケットとして買った一杯目のビールで乾杯しているのだ。酒場でお酒を飲むということは、映画館で映画を見るのとよく似ている。あとでレンタルすれば確かに安く観られるんだけれど、あの用意された座席で、あの空間で、あのスクリーンで映画を観られるから、大枚をはたく意味があるのだ。

だとすると、家飲みは自分たちで映画を撮るようなものである。決して贅沢な空間が用意されているわけではない。待っていれば目の前に出てくる料理もない。脚本も、演出も、すべて自分たちで作り上げなければならないのだ。もちろん、何もせずにただ買ってきた枝豆をつまみながら缶ビールを流し込むのでもいい。逆に、とことんこだわって、酒場では決して味わえないような特別な時間を模索してみるのもいい。

家飲みを始めた当時は、いつも買ってきた安売りの惣菜やスナック菓子をつまむだけの、いかにも安アパートの一室が似合いそうな宴を開いていた。しかし回を重ねるごとに、私たちは貧乏なりに家飲みの質を上げることに努めはじめた。たとえば簡単な料理を作る者もいれば、庭で作った燻製を持ってくる者、旅先で見つけた珍しい地酒を持参する者もいた。それぞれがそれぞれの個性で演出をほどこし、金曜日の夜はみるみる彩られてゆく。

そして、飲みながら行うことといえば、誰かが持ってきた映画を観ることだったり、誰かが持ってきたゲームをすることだったり、トランプをしながら語り合うこともあれば、酔いが回ってきた折には、ギターを披露する者もいて、ただお金だけ払って提供される陽気な時間より、ずっと自分たちで夜をつくり上げているという感覚がした。

その頃私はまだ煙草を吸っていて、仲間内には煙草を吸う友達がもう一人しかいなかったので、ときどき二人で連れ立って外に出た。雲のない夜には、星を見ながら二人でひと息ついて、一転して仕事の悩みなどをこぼしたりする。そうしていると、家の中にいた連中も休憩がてら玄関先に飛び出してきて、結局ぞろぞろと近所の公園まで散歩に行ったりする。

今、故郷を離れた私が、いちばん恋しいのがあの時間だ。東京には素敵な酒場がたくさんあるし、田舎とちがって仕事帰りにふらりとそこらのお店に立ち寄ることもできる。だが、ここにはあの仲間たちはいないし、広い家もない。並んで星空を眺めることもできやしない。どんなに上質なお酒を飲むときでも、そこに混じる孤独の苦味が、あの頃を恋しくさせるのだ。

疲れた夜にはコンビニで少し高いビールを買って帰り、綺麗なグラスに注いで飲む。大好きな音楽をかけながら、少しずつ酔っぱらっても、淋しさは掻き消えない。長い長い夜という映画をひとりきりで撮影しながら、私は今もどこかに仲間たちの影を捜している。

今週のお題「家飲み」