私がブログを書きたくなるのは、きまって後ろ向きな理由からである。仕事が上手くいっているとき、趣味を謳歌するのに忙しいとき、旧友たちと飲み明かしたとき……そんな日の私にはブログを書こうなんて発想はない。そもそもこのブログだって何の理念も目的もなく始めたものだし、私の綴る文章のどれにも壮大なテーマなど存在しない。私がブログを書きたくなるのは、酩酊時の手癖によるものか、あるいは何も成し得なかったわびしい一日の終わりに、焦って何か少しでも形になるものを残そうともがいた無残な爪痕なのである。
それはツイッターにも言えることである。私はここのところ滅多にツイッターを更新しない。140文字をつぶやく体力すらなくなってしまったからである。数年前までの私は、持て余した時間とくすぶった魂をひたすらダークなポエムに費やし、誰に発見されるでもなく夜毎タイムラインに140文字ぴったりのポエムを恥ずかしげもなく投下していた。そのことによって少なくともその夜の私は救われたわけである。今日はこんなにたくさん文章を書いた、と。しかし後になって見返せばそのどれもがゆきずりの女と関わったあとのシーツの乱れのように、空虚な情動の残滓に等しいものである。
私の書く文章にはまったくと言っていいほど生産性がない。もっとも私はこの世に存在する文章のほとんどが生産性など持ち合わせていないと思っているのだが。誰かの役に立つとか誰かの涙を誘うとか、あるいは家計費の足しになるとか、そういったわかりやすい釣果が得られれば誰もが自らの文章にもう少し価値を見いだせるのだろうけれど、得てして私たちは自らの文章を駄文と罵りながらどこまで広がっているとも知れないネットの水平線の彼方に投げ込むことしかできない。それはうまいこと二度三度、水切りの小石のように水面を跳ねて煌めく飛沫を見せて寄越すこともあるけれど、往々にして振り返ることもなく一直線に海底へ沈み込んでゆくのが関の山だ。沈んだあとには幽かな波紋が広がり、すぐに消える。その波紋、それこそが私の記す文章の唯一の価値なのではないだろうか。その場で、そこに視線をやっている人にしか、波紋の存在は気づかれない。沈んでしまえば、海底に数多ある石ころのひとつになってしまう。だからこそ、その一瞬のために、このネットの海原に儚く消え去る瞬間を見つけてくれるかもしれない人のために、私は文章を書いては放るのだ。
今この文章さえ、誰に届くかわからない。届いたところで、どんな作用をもたらすかもわからない。それでも私は、今日を慰めるためにひたすら文章を書き連ね、それを投げ込む。いくつもいくつも波紋をつくっては消し、それがやがて雨のように世界を覆い尽くすとき、私は私が文章を書く本当の理由に気づけたりするのだろうか。
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今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」