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或るロリータ

A Certain Lolita

教師が「まともな人」である必要はないのかもしれない

本当に学校とはギャンブルだ。クラスメイトも重要だが、担任が誰になるかというのもまた、一年間を大きく左右する条件にちがいない。そうしてそれは往々にして自ら選択することはできない。四月になり、新しいクラス割の紙が張り出され、始業式の折に新しいクラス担任が体育館で発表される。(うちの小学校はそういうシステムだった。)喜んだり、嘆いたり、子供は正直なもので、まったく知らない新任の先生だったりすると反応に困ったりもする。

そんな私のもっとも好きだった先生は、小学四年生の頃の斎藤先生である。きっとあの時のクラスメイトの多くは、生涯でもっとも好きだった先生に彼の名前を挙げるだろう。それくらい、あの一年間は煌めいていた。

第一に、斎藤先生は貧乏だった。彼は二十代後半だったが、正規教員ではなかった。臨時講師というやつで、その一年間だけ私の小学校に赴任してきたのだ。彼の貧乏エピソードは尽きることがない。中でも印象的だったのは、ボロアパートに一人暮らしで、ろくに家事もしない彼の部屋の、本棚の裏はきのこが生えていたというやつだ。そのエピソードに、クラスじゅうが腹を抱えて笑っていた。彼は貧乏だったから給食をたらふく食べた。おかわりしまくったし、余ったおかずのジャンケンにも参加した。デザートのジャンケンには入ってこなかったところを見ると、とにかく栄養を摂取しておきたいという切実な思いが感じられる。

斎藤先生は本気だった。昼休みにはいつもドッジボールに参加した。メチャクチャ本気で投げた。彼のボールを受け止められるのはクラスでも指折りのリーダー格のやつらだけだった。それまでにそんな先生はいなかったので私たちは楽しくて仕方なかった。また、彼は怒るときも本気だった。若い男というだけあって、怒ったときの迫力は半端なかった。それがまた、単に先生にべったり甘えるという関係に陥らずにメリハリのある教室の空気を作っていたのかもしれない。

斎藤先生は隣のクラスのまいこ先生が好きだった。これもまた私たちの学校生活に漫画的な面白さをもたらしていた要素のひとつだ。隣のクラスの女教師を追いかけ回すなんてエピソード、昭和の学園モノでよくありそうで、今考えても面白い。実際にそのまいこ先生は美人だったし、年もおそらく斎藤先生よりいくつか下くらいで、多分斎藤先生はガチだったと思う。だけどあまりにみんなが囃し立てるので、手を出しにくくなってたんじゃないかな。今思えば申し訳ない。

あとは、クラスで小さな畑をつくってそこで育てた野菜を食べたり、理科の実験と称してアイスクリームをつくって食べたり、とにかく斎藤先生は私たちが今までに経験したことのない、いわば「ちょっと外れたことを教えてくれた。こんな先生もいるんだなあ、というのがとにかくあの時の心情だった。

確かに彼はまともではない。けれど、あの時斎藤先生がやっていたことは何一つ間違っていなかったと思うし、今の私に良い影響はあっても悪い影響はもたらしていないと思う。

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こんな記事を見つけたりもした。臨時講師と正教員のちがいがいまいち素人には判らないけど、臨時講師の方が意外と多かったりするのね。でも、免許のあるなしと人としての魅力は別に比例しないと思う。

冒頭にも書いたが、学校生活とはギャンブルだ。それも一生に関わることさえある大きな賭けだ。一度でいいから、「あの先生良かったなー」って人と子供が出会えるのが理想である。そうしたら、それだけで学校に通った日々が意味を持つような気がする。

今週のお題「思い出の先生」