或るロリータ

A Certain Lolita

限りない自由なんて、ただ淋しいもの

一人暮らしをしてみたいと、誰もが一度は思ったことがあるはずだ。特に思春期の時分には、親の愛がどこかうとましく感じられて、自分にはもうそんなものは必要ない、それより都会のアパートで一人暮らしをして、好きなものに囲まれた部屋で思うままに時間を過ごしたい、と、大人の生活に幻想を抱いたりする。

私も例に漏れずそんな夢を見ながら学生時代を過ごしたが、将来というものについて割とまともに考え始める頃になると、実家住まいのまま生まれ育った故郷に居続けるのがきわめて賢明な判断に思え、淡い希望は途端に失った。就職してわずかばかりの給料が入るようになると、六畳の自室に家具や家電のもろもろを押しこんで、実家に居ながらして小さな一人暮らしの部屋を完成させた。狭い部屋に不釣り合いな大型テレビで映画を見ながら酒を飲み、夕涼みに窓を開ければ、ちょうど西陽に染め上げられた山並みがなまめかしくシルエットに変わってゆく。そんな風景が見えると、やっぱり田舎も悪くない、と思ったりする。

だから突然の転職が決まり、初めて一人暮らしをすることになったとき、私の中ではもう、喜びより不安の方が大きかった。恋や仕事に折り合いをつけながら、決して高くない給料の中でささやかな贅沢を積み重ねていくことに、私は何も不自由していなかったから。これ以上ひとりになりたいとも思わなかったし、これ以上どこかへ行きたいとも思わなかった。海の底の砂のように、じっと明かりの差すのを待って、流れてゆく水や魚を眺めているだけで、十分に楽しかったからだ。

都会への憧れがなかったわけじゃない。けれどそれはこのじっと安定した水底のような生活を投げ打ってまで追いかけるものではないと思っていたし、第一、私ひとりに私の人生を背負えるほど、まだ大人になりきれてなんかいない。結局は、両親や、家や、故郷に守られながら、その中で一人暮らしのふりをしながら生きてゆくのが私にはお似合いだ。そうやってうじうじと悩んでいても、旅立ちの日は迫ってきた。ただ、どんなに怖くても、自分自身の覚悟だけは裏切れなかった。私は故郷を捨てたのだ。

横浜とは名ばかりのさびれた町の片隅で、駅からだいぶ歩いた暗い路地にあたらしい私の住みかはあった。建物自体は綺麗だったけれど、狭くて無機質で、それに故郷よりずっと空が低く見えて、ここでやっていけるという自信なんてこれっぽちも持てなかった。なけなしの貯金を崩して買い揃えた家具をいくつか置いたところで、部屋の雰囲気はちっとも明るくならない。いくら自堕落に過ごしたところで叱り飛ばしてくる家族はいないし、訪ねてくれる友達もいない。この町の誰もが私のことを知らないなんて、そんな淋しいことはないだろう。

何をしても許される日々の中では、私は何もできなくなった。自由とはなんなのか考えたが、このそこらじゅうに落ちている埃みたいなものがそうなのだとしたら、大人ってずいぶんつまらないものなんだと思った。段ボールを貼りつけた窓からは光が入らず、部屋はいつも暗かった。薄い布団に包まれて誰の声も聞こえない部屋で眠るとき、私はあまりの人恋しさにおかしくなりそうだった。

結局私はすぐにその部屋を引き払い、もう一度、別の場所であたらしい生活を始めることにした。仕事がつらくて孤独を楽しむ余裕さえなかったのも一因だろうけど、初めての一人暮らしは苦い思い出に終わってしまった。最後の荷物を積み出して、何もなくなった部屋は、初めて訪れたときのように空っぽだった。窓の段ボールを剥がして久しぶりに陽を浴びて、どこか生き生きとして見えた。次にここに住む人には、きっと素敵な部屋に見えるにちがいない。別れ際になると少しだけ名残惜しさがこみ上げてきて、あわててドアを閉めた。さようなら。次こそは、負けない。