或るロリータ

A Certain Lolita

故郷から東京へ戻る飛行機で、昼と夜の隙間を見た

今年の夏は、いつにも増してあちこちへ旅に出た。そう言いながら、例年どこかへ出かけている気がするが。

初めて足を踏み入れた四国の地や、水色の瀬戸内海。棚田祭りや風鈴市、ひまわり畑など、夏を象徴するにふさわしいシーンは数え切れないほどあった。お陰で私は九月に入った今もなお、夏という要素をつめこむだけつめこんだ壮大な映画を観せられたあとのように、まだ感情の処理が追いつかないまま肌寒さに上着だけを羽織っている。

クーラーのいらなくなった土曜日の昼間に窓を開けると、心地よい風とともに物悲しい蝉の独唱が流れこんできて、ようやく別れを実感する。「そうか、夏は終わったんだな」と。

夏の終わりは決まってセンチメンタルである。蒸し暑い真夏日に仕事で延々東京の街を歩き回っていた時は、ぬぐってもぬぐっても流れてくる汗に不快きわまりなく、「もう少しくらい涼しくなってくれないかな」と願っていたのに、いざ朝夕の風がひんやりし始めるとすぐにこれだ。きっとその向こうに見え透いている秋、そして冬の気配が、陽気な日々の終幕を予感させるためであろう。

夏の終わりに焦りがつきものなのは、夏だから何かしないといけない、そう思っているからだ。夏には、何かしないといけないと思わせる魔力があるのだ。そうして大抵の場合、何もできずに終わってしまう。海やお祭り、ビアガーデンや高校野球観戦と、夏にふさわしいイベントは確実に消化しているはずなのに、それでも人は満足できない。夏は必ず未完成のまま行ってしまう。来年に向けた課題を残して。

夏は別れた恋人のようだ。悪いところさえ恋しく見えてしまう。楽しかった思い出とともに、もっとああしておけばよかったなんて、自省をくり返す。毎年毎年、そこまでを含めて夏の恒例行事みたいになっている。そりゃ、センチメンタルになるのも無理はない。夏は魔性の女なのだから。

そうして今まさに魔性の女に苦しめられている最中の私が選ぶこの夏の一枚は、故郷から東京へ戻る飛行機の中で偶然撮影した一枚である。七月の始め、世間が夏休みを迎えるより一足早く、私は故郷へ向かった。夏の田舎はいいものだった。家族や旧友に会い、ゆるやかな時を謳歌した。だから、私はいつも、帰りの飛行機では疲れ果てて眠ってしまう。今回も例に漏れず私はハット帽を深くかぶり、座席で夢の世界へと落ちたはずだった。

ところがふとした拍子で飛行中に眠りから覚め、窓の外に目をやった瞬間、あまりの美しさに息をのんだ。眼下にうつる街はすっかり夜の体裁で、黒い大地に無数の灯りがちらばっていたけれど、視線を上げてみれば、そこには夜と夕暮れと青空の混ざりあったような、なんとも言えぬ神秘的な風景が広がっていた。空との距離が近いためか、その色は地上から見るよりずっと濃艶だった。

まさに、昼が逃げていく後ろ姿をとらえたようだった。夜の果てでは、こんなに美しい逃亡劇が繰り広げられていたというのか。母親の宝石箱をそっと開けて覗きこむような気持ちで、昼と夜の隙間を見た。ほんのわずかな時間であっというまに夜に食べられてしまったが、その儚さが、めまぐるしく過ぎた私の夏を飾る一枚にふさわしいのではないだろうか。

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今週のお題はてなブログ フォトコンテスト 2017夏」

 

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